「姑息」といえば「卑怯という意味で使うのは誤用」「本来は一時しのぎという意味」と説明されることが多い。
「資金繰りに行き詰まって姑息にも消費者金融で借金をした」みたいな?
こういう使いかたで正しいのか?
曾子疾に寢ねて病なり。樂正子春牀下に坐し、曾元、曾申足に坐し、童子隅に坐して燭を執る。童子曰く、華にして睆なるは大夫の簀か。子春曰く、止めよ。曾子之を聞きて瞿然として曰く、呼。曰く華に睆なるは大夫の簀か。曾子曰く、然り、斯れ乃ち季孫の賜なり。我未だ之を易ふること能はざりしなり。元起ちて簀を易へよ。曾元曰く、夫子の病革まれり、以て變ずべからず。幸にして旦に至らば、請ふ敬みて之を易へん。曾子曰く、爾の我を愛するや彼に如かず。君子の人を愛するや徳を以てし、細人の人を 愛するや姑息を以てす。吾何をか求めんや、吾正を得て斃れなば斯に已まんと。擧げ扶けて之を易へたるに、席に反りて未だ安んせずして沒せり。
適当に訳すと、
曾子が死の床についているとき、曾子の寝ているムシロは身分の高い人が使うものだと、童子が指摘した。曾子はムシロを取り替えるように息子に言ったが、息子は危篤の父を動かすことを恐れて「明日の朝になれば変えましょう」と断った。曾子が「立派な人間の愛は徳によるものであり、つまらない人間の愛は姑息によるものである」と言ったので、息子はムシロを取り替えたが、すぐに曾子は亡くなった。
みたいな話になるだろうか。
姑息是汉语词语,拼音为gū xī,属动词,指无原则地宽容、迁就他人,或苟且求安,与“体谅”语义存在本质区别。该词包含双重内涵:一为消极妥协,如“姑息养奸”指无原则纵容恶行;二为迁就容忍,多出于维系表面和谐,核心在于缺乏原则性,既可批判过度宽容,也可指无奈的和缓策略。
やはり適当に訳す。
姑息は、原則のない寛容、他人への迎合、一時しのぎの平穏を指し、「思いやり」とは本質的に異なる。この言葉は二つの意味を含んでいる。一つは消極的な妥協であり、たとえば「姑息養奸」は寛大さが悪を助長することを意味する。もう一つは表面的な調和維持を目的とした容忍で、その核心は「原則性の欠如」にある。これは過度な寛容や、無力な宥和策を批判するときに使われる。
つまり前述の曾子さんは「危篤の父を安静にしたいという思いやり」のために「父を身分不相応なムシロに寝かせるという不徳」を許すことが「姑息」なのだと言っているのだと思う。
なんだか儒教らしい理想主義というか「情に流されるな!妥協など許すな!徳に殉じて死ね!」みたいな印象を受けてしまうが。
ともあれ中国での「姑息」は単なる「一時しのぎ」という以上に「一時的には良くても長期的に見ると悪くなりそうな寛容・妥協・迎合」という意味合いが強いようだ。
試しに中国語でニュース検索してみると「絶不姑息」というような言い回しが多く出てくる。
これは「(誹謗中傷は)絶対に容認しない」や「(ストライキには)絶対に応じない」などの意味で使われているようだ。
日本だと、明治期に「因循姑息」という四字熟語が流行ったという。
文明開化を背景に使われた言葉で「新しい文化に改めずにやりすごそうとする」という意味らしい。
半髪頭を叩いてみれば因循姑息の音がする
総髪頭を叩いてみれば王政復古の音がする
散切頭を叩いてみれば文明開化の音がする
「苟且」は「姑息」の説明でも使われていたがこちらも「一時しのぎ」という意味。
ただ「一時しのぎで手抜きをして誤魔化す」のような意味合いがより強いようだ。