「やっぱ東京はすごい」「何でもある」。そう信じて疑わなかった。世帯年収1000万円あれば、東京でそれなりに豊かな生活が送れると思っていた。だが、その幻想は具体的な数字の前に木っ端微塵に砕け散った。
これは、多くの人が囚われている「東京中心の幻想」と、その実態を暴くための記録だ。
俺は以前から、都市の価値はマクロな施設の総量ではなく、個人が日常的にアクセスできる「徒歩圏内の実効密度」で決まる、と考えてきた。
その理論に基づけば、地方中核都市の都心部こそが、人間が豊かに暮らすための「最適解」であるはずだ。
例えば、人口約80万人の高松都雇圏。その中心部、地価最高点に立つ新築マンション(70㎡で約4000万円)を基準にすると、驚くべき事実が浮かび上がる。
日常の買い物から飲食、各種サービスまで、文字通り「何でも揃う」環境がそこにはある。
では、我らが「東京(本物)」ではどうだろうか。世帯年収1000万円という、決して低くはない収入で手に入る現実は、どれほどのものなのか。
東京で世帯年収1000万円の夫婦が70㎡クラスのマンションを買おうとすると、現実的なラインは8000万円前後だろう。その一つの具体例として、江戸川区の船堀駅徒歩7.5分を想定し、その周辺の店舗数を実際に数えてみた。
その結果が、これだ。
| 徒歩4分圏内 | 徒歩9分圏内 | |
| --- | --- | --- |
| 高松(中心部) | 500店舗 | 1000店舗 |
| 東京・船堀 | 20店舗 | 150店舗 |
| 比較 | 25分の1 (4%) | 約7分の1 (15%) |
愕然とした。倍の価格を払って手に入れた東京の住まいの足元は、地方中核都市に比べて豊かさの密度が25分の1しかなかったのだ。これが、東京の現実だ。
「いや、店の数は多ければいいってものじゃない」という反論が聞こえてきそうだ。その通り。人間が享受できるモノや情報、コミュニティには限界がある。
私は、生活に必要な各種別の享受対象(スーパー、コンビニ、飲食店、クリニック、ジムなど)が一通り揃う目安を「飽和水準」と呼んでいる。
この水準を満たせば、徒歩圏内で生活が完結し、多様な選択肢の中から自分に合ったものを選べるようになる。高松中心部はこの基準を2倍以上も上回る、いわばオーバースペックな環境だ。
衝撃的なのは、9分も歩いてようやく駅前にたどり着いても、本来なら4分圏内で満たされるべき飽和水準(200店舗)の75%しか達成できないという事実だ。
つまり、8000万円という大金を投じても、生活の基礎需要すら徒歩圏内で満たせない。足りない25%の豊かさを享受するためには、電車に乗るか、さらに遠くまで歩くしかない。これはもはや「豊かさ」ではなく、日々の「消耗」だ。
高い住居費を払い、満員電車で心身をすり減らし、その結果手に入れるのが、地方都市の半額の住まいにも劣るスカスカの徒歩圏内。
東京の「豊かさ」とは、マスメディアと不動産業者が作り上げた、個人が享受できないモノや情報を在庫として抱えただけの「幻想享受圏」に過ぎない。
これは個人の価値観の問題ではない。都市が人間ではなく、企業や経済の都合で作られた「社会的在庫装置」と化しているという構造問題なのだ。我々は、その構造の不都合さから目を逸らすべきではない。
eroyamaさんに診てもらおう