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2025-07-27

劉仲敬が2020年8月に行った「發明蔣經國與發明李登輝インタビューの要約

https://anond.hatelabo.jp/20250727144129

概要

このインタビューでは、劉仲敬が蔣經國(蒋経国)と李登輝という台湾の二大政治指導者遺産について、特に蔣經國の政治スタイルとその本質分析しています。核心は、蔣經國が「共産党式の幹部体制」を内在化した上で、台湾独自制御したこと、そして李登輝以後にその遺産が別の方向に「発明」されていったことです。

■ 主なポイント

1. 蔣經國の人格と訓練背景

若い頃にソ連で訓練を受けたため、蔣經國の性格共産党幹部候補的。

情報部門幹部運営において共産党的な「粛清」や「双重道徳」が基本思想

家族道徳を利用可能資源とみなす「布爾什維克」的な思考

2.台湾統治国民党内での権力掌握

台湾では「外来政権」として、容赦ない支配可能

古い軍閥派閥情報機関を使って粛清し、「幹部党」を築く。

1950〜70年代国民党の「レーニン主義的純度」の最高潮

3.技術官僚地方派閥の台頭

経済発展により技術官僚地方中産階級派閥政治)の影響力が拡大。

彼らは本来レーニン体制とは相容れないが、蔣經國は「とりあえず使える」と判断

本土派の成長も黙認。ただし、真の危機は「統一戦線による国民党の再赤化」。

4. 蔣經國の判断と「本土化路線

本土化路線は長期計画ではなく、その時々の「緊急対処」だった。

政治家とは「今この瞬間の危機」に対応する存在であり、理想設計とは無縁。

廖承志との対話拒否し、統派との距離を取り続けたのも、「統一戦線型の危機」が即時だったから。

5.李登輝と「蔣經國の遺産」の再定義

蔣經國の死後、部下たちは状況に応じて彼の遺産を「再発明」した。

特に李登輝は、「蔣經國の意志」を引き継いだという形で民主化本土化を進めた。

実際には、蔣經國自身も**「後のことまでは考えていなかった」**可能性が高い。

6.政治家と知識人の違い

政治家:紙の船で嵐を航海するような存在、常に危機の中で動く。

知識人完璧設計を求めがちだが、現場感覚がない。

歴史的偉業に見える決断も、ほとんどが**「急場しのぎ」**であったという現実

結論

蔣經國は、共産党式の統治術とアメリカとの協調を活かしつつ、台湾における国民党体制一時的に安定させたが、それは理想に基づくものではなく、その場その場で最も緊急な危機対応する「即応的政治判断」の積み重ねに過ぎない。そして彼の死後、その行動の意味合いや「意志」は、後代の政治家によって再構築(=再発明)された。

https://vocus.cc/article/5f33a32dfd89780001ac4120

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