東山紀之新社長と藤島ジュリー景子前社長がそろって会見を開き、ジャニーズ事務所のこれまでの反省と今後の方針をメディアの前で語った。その後に、ジャニーズ所属タレントたちも次々と声明を発表し、皆が口をそろえて「うわさでしか聞いたことなかった」と性加害への認識を述べた。しかし、実情は故ジャニー喜多川氏に気に入られなければデビューは難しく、そこには複雑でデリケートな駆け引きがあった。『ユー。ジャニーズの性加害を告発して』(文藝春秋)を上梓(じょうし)した歌手のカウアン・オカモト氏に聞いた。(聞き手/ビデオジャーナリスト 長野 光)
ジャニーさんが住んでいたタワーマンションの鍵と、別荘のような渋谷のマンションの、プール付きの部屋のカードキーがありました。僕が持っていたのはタワーマンションの鍵でした。プール付きの部屋のカードキーも一時期預かっていましたが、カードキーは数枚しかないので、ジュニアたちで回して使っていました。
タワーマンションの鍵は限られた人しか持つことが許されませんでした。僕の場合は、ジャニーズに入ることが決まり、上京してすぐに鍵を渡されました。鍵をもらうことができたジュニアは、自分の家の鍵とジャニーさんのマンションの鍵を両方腰からぶら下げて、周りに見えるようにしていました。持っていると「スゲー」と言われて尊敬を集めるのです。
鍵を持っている人はいつでも部屋に入ることが許された人たちで、ジャニーさんがいない時などは貸し切り状態です。プール付きのほうは渋谷のど真ん中だし、遊びに行くにも便利でした。ジャニーさんのマンションは、家政婦さんがいてご飯を作ってくれるし、ジェットバスやカラオケもある。性加害さえなければ最高で、だから、ジャニーさんがいない時は特に良かった。絶対にやられないから。
どちらかというと、プール付きの渋谷のマンションのほうが遊び場のようになっていました。そちらに行く人たちはよりヤンチャな子が多かったという印象です。家具を盗み出す人や、女の子を連れ込んじゃう人とか、「おまえ正気かよ」と言いたくなるようなジュニアもちらほらいました。そんなこともあり、プール付きのマンションは、僕がジャニーズに入ってしばらくしてから全員出入り禁止になっちゃいました
青山のタワーマンションの部屋は、入る人数は最大30人くらいだったと思います。それなりに大きな部屋が四つありましたから。多くの場合、20人くらいが泊まっていた印象です。遊びに来るジュニアたちのために、浴衣とボクサーパンツが用意されていました。ドラム式洗濯乾燥機があり、自分が着てきた服を洗濯しつつ、用意されている浴衣とパンツを着て、また翌日、洗濯済みの着てきた服を着て帰るのです。だから、同じ服で連泊することも可能でした。
知っています。鍵を持っている人はジャニーさんから相当に信頼されている人です。
ジャニーさんが毎日顔を見て嫌にならない人だと思います。ジュニアだからといって、誰もがジャニーさんの家に入れるわけではありませんでした。一度は呼んだけれど、二度と呼ばれなくなってしまった人もたくさんいました。あるいは、そのジュニアから電話がかかってきても、ジャニーさんが出なくなったという人もいます。性加害を受けたかどうか、ということとは関係なく、何らかの理由からか「アウト」という評価になってしまった人はたくさんいました。
騒いだり、うるさかったり、マナーが悪くてどこかプロ意識に欠けるような子は呼ばれなくなりました。そういったことは、見ていてもなんとなく分かります。プロ意識のある人しかマンションに入れないのです。ですから、個人的にお気に入りということと、プロとして見込みがあるということが両方ある人に鍵を渡したのだと思います。
必ずしもそういうケースばかりではなかったと思いますが、おっしゃるように、性加害を受け入れなかったら、次の日から話しかけられなくなった人もたしかにいました。何かをしでかして、怒られているうちはまだいいけれど、無視され始めると危険だと感じていました。デビューできなくなるのではないかと。
していました。「これからジャニーさんのとこ行こうよ」と声をかけると「いや、たぶんもうオレには来てほしくないと思う」と気まずい顔をしているジュニアもいました。ジャニーさんの家に行く前には、皆それぞれジャニーさんに電話をかけて、行っていいかどうか確認を取ります。「いいよ」と言われることも「今日はもうたくさん来る人がいるから無理」と断られることもあります。
ある時に、数人で順番にジャニーさんに電話したら1番目に電話をかけたジュニアは「来ていい」と言われ、2番目にかけたジュニアは「もういっぱいだから無理」と言われ、その次に電話をかけたジュニアは「来ていい」と言われたことがありました。人を選んでいるし、誰が駄目なのかも分かります。
そこがまさに、ジャニーさんの心に穴が開いていると僕が感じていた部分です。寂しい。人肌恋しいのだと思います。1人でいることに耐えられないのです。時には、たまたま誰も来ない日もまれにありました。行ってみたら僕1人だったということもありました。そうすると、ジャニーさんは「誰も来ないの?」「あの子は来ないの?」「なんで来ないの?」と言って、自分から次々と電話をかけることもありました。僕にも「今日来ないの?」と電話がかかってくることがありました。
そんなこともないのです。かえって断ることで、ジャニーさんが鬼電してくることもありました。逆に燃え上がっちゃうパターンです。だから、いつ火がついて、いつ切られちゃうか、誰にも分からないのです。
一緒にいる時は仕事の話が多かったですね。「今日の僕のライブはどうだった」などと聞くと、ジャニーさんから「最悪だったよ」と言われたりしました。ジャニーさんは厳しいので、基本的には褒めません。褒める時は、直接その人を褒めず、他の人にその人への褒め言葉を言う。誰かを面と向かって直接褒めないのは、調子に乗らせたくないという意識があったのかもしれません。
ジャニーさんと話していると「若い頃はこの人怖かっただろうな」と思うことがありました。ズバっとものを言うストレートな性格なので。笑っていることが少なく、わりと短気で、いつもどこかイライラしていた印象もあります。自分で何かジョークを言って笑うことはあるけれど、ジャニーさんを人が笑わせるのは難しい。
ですから、ジャニーさんの家に遊びに行くのは独特の緊張感もありました。しかし、結果的にはイライラしたジャニーさんを皆で放っておく空気になるのです。ジャニーさんが何か飲みたいと言えば運んでいくし、ソファで寝落ちしてエアコンの風で寒そうに震えていたら何かかけてあげる。いわゆる老人の扱いでした。
ジャニーさんは、ずっと敬語で話す人はあんまり好きではありませんでした。かといって、最初からタメ口でズケズケ話すような礼儀のない人も嫌いでした。中身を見ているというか、計算してものを言う人は嫌いなのです。一方では、ある種のプロ意識や根性を持って「ジャニーさんを使ってやろう」と企むような人を好む側面もありました。だから、好き嫌いにもいろんなパターンがあったように思います。おそらく、本気な人が好きなのです。「俺のことだますなら本気でだませよ」みたいな。
それは言いませんでしたね。そういうことをはっきり言ってくれないからこそ、すごく難しいという面がありました。どうすればいいのか言ってくれたほうが楽だったと思う。
僕はお願いしました。ソロデビューしたくて、自分で曲やPVを作り、ジャニーさんに見せた。「これでダメならジャニーズを辞める」と言うと「ユー、聞いてあげるからちょっと待って」と言われました。お互い半分キレながら本気で話をしましたよ。
大きく分けて二つのパターンがあったと思います。まず、自然とあるジュニアが注目されて人気が高まり、この子をデビューさせないともったいないから出そうというパターン。もう一つは、何人か注目されるコアメンバーがいて、それに合うように他のメンバーを集めてグループにしてデビューさせるパターンです。
嵐のエピソードは有名です。嵐を結成するときにハワイでお披露目のイベントがあり、パスポートの用意が間に合わず、嵐に入るはずが入れなかった人がいたそうです。その人の代わりに、パスポートを持っていた相葉雅紀さんに声がかかり、そのまま嵐のメンバーとしてデビューした。
ジャニーさんというのは、そういうところがあるのです。最後は感性というか、ピンときたら「ユー、やっちゃいなよ」「ユー、出ちゃいなよ」となるのです。計画はあるのでしょうけれど、最後は勘で決めている。
誰に人気があるかを測るのは難しい。というのも、デビューさせてみないと本当に人気が出るかどうかは分からない。デビューしたって、あまり人気が出ない人もいる。そうなると、結局ジャニーさんが誰を良いと考えるかに左右される。ジャニーさんが人選をして、事務所はデビューさせてから結果を測っていく。ジャニーさんは最初に推すけれど、その後のことまでは考えません。
ジャニーさんが関与しないでドラマや雑誌などの仕事が入ることもあるけれど、ある仕事が入った後に「あの仕事はじつは僕が入れたんだよ」とジャニーさんから言われることもありました。僕がTVドラマ「GTO」(2014年フジテレビ)に出演したときは、ジャニーさんの推薦でした。
ジャニーズ事務所は大きいので、注目されるパターンは複数ありますが、最終的にはジャニーさんが選んでいくので、最初からジャニーさんルートでいったほうが話が早いのです。
そうです。だから困るのです。ジャニーさんルートでいくと、ジャニーさんの一存とゴリ押しで仕事がねじ込まれる。だけど、そこに計画性はない。だから、仕事は入れてくれるけど、現場には話が通っていないこともある。行ってみたら「ダレ?」「なんで来たの?」なんて反応を現場のスタッフからされることもあります。
「ジャニーさんが仕事あるって言うから来たんですけれど」と説明し、現場が誰かに電話をかけ、その人がまた誰かに電話をかけ、やがて、ジャニーさんに行き着いて「自分が行かせた」という証言を取る。そうすると、急きょ出演が確定して「メイクしなくちゃ」「撮影しなくちゃ」と慌てて現場が動き出す。現場はジャニーさんのお願いなので断れないけれど、内心困っていました。
そうです。だけど同時に、ジャニーズのすごさが明らかになる。こんなに何でも好きに決められるのだと。しかしそれは、ジャニーさんから切られることがいかに恐ろしいかということでもあります。
ジャニーさんは僕が曲やPVを自分で創ってきたことに驚き、感激してくれました。ジュニアでそんなことをする人は今までいなかった。作品の出来に関しても、とても満足していました。さらに僕は「これでダメだったら僕もうジャニーズ辞めます」という旨をしたためた手紙も一緒に渡しました。
僕はそのとき、YouTubeを活用したソロデビューを考えていました。そして、日本語、英語、ポルトガル語といった多言語を使った形での、それまでにない表現活動を提案しました。
僕を売っていたら世界に行っていたのになぁ。でも、他の幹部たちはそう判断はせず、ソロデビュー企画は却下されてしまいました。ソロデビューもYouTubeも当時のジャニーズでは難しかったのです。何かと著作権上の問題が発生する可能性も検討されたのだと思います。
K-POPとの力の差があらわになってしまうのが、怖かったのだと思います。動画の再生回数が出てしまう。そして、PVをYouTubeで見ることができたら、ファンクラブに入るかいがなくなる。ファンクラブ・ビジネスがジャニーズの稼ぎでは大きな部分ですから。
この提案に賛同してもらえなかったので、僕はジャニーズを去りました。
カウアン・オカモト 著
ラテンミュージック界のプレーヤーたちが運営するザ・ラテン・レコーディング・アカデミーという協会があり、そこが優れた作品を作るアーティストに贈るラテン・グラミー賞というものがあります。南米圏でヒットした曲が対象になります。だから、僕も南米圏でのヒットをまず狙います。この賞を取った日本人はまだいない。
僕の告発によって傷つけてしまった人たち一人一人と向き合うことはできないけれど、自分にうそをつかずに生きたいし、音楽活動で、悲しませる人の数より喜ばせる人の数を増やしたい。ブラジルと日本というアイデンティティーを背負って闘いたいと思っています。
以前は音楽だけで自分を表現しようと思っていたけれど、今は、(性加害という)ストーリーができてしまった。だから、今回本にしてちゃんと伝えたいと思いました。自分を表現することについては常に「ガチ」でありたいんです。
『ユー。 ジャニーズの性加害を告発して』(文藝春秋)を上梓(じょうし)した歌手のカウアン・オカモト氏に聞いた。 タイトルかっこいいね