たとえ時間を「空間と同様に俯瞰できるもの」と見なしても、時間には不可逆性(エントロピー増大)という決定的な性質が存在する。
空間的な移動(場所の移動)と、時間的な移動(過去への移動)は根本的に異質だ。
例:「本能寺の変を止める」ことで「本能寺の変を止めに来た動機」が消える
→ すると「改変者が存在しない」
→ ならば「本能寺の変は起きる」
→ すると「改変者がまた来る」…
つまり、AがBを起こすのに、Aが存在しないままBが残るという不条理だ。
あなたの例: 絵を描いた人が出かけている間に絵を消した。だから過去改変も同じように干渉できる
過去改変はこのような完結した一方向的因果系では説明できない。
この例は、「時間移動者が未来から来たこと」が時間線上に刻まれていない前提を隠している。
もし刻まれていたなら、「なぜ彼が来たのか」という動機が生まれ、それが自己矛盾に至る。
もしタイムパラドックスを防ぐなら、現在の標準的な理論物理学において有力な仮説は多世界解釈(Many-Worlds Interpretation)。
改変はその人がいた未来とは異なる枝の宇宙で起こるため、パラドックスは起こらず、因果律は守られる。
あなたの主張はこの議論をすべて切り捨てているが、これは現代の量子論や時間理論に対して非科学的な態度だ。
| 主張 | 問題点 |
|---|---|
| 時間を空間と同じように扱える | ❌時間はエントロピーに縛られる「非対称的次元」 |
| 改変者がいなくなっても改変は残る | ❌因果律が崩壊する(原因なき結果) |
| 絵の例で説明できる | ❌時間的自己因果と空間的不在を混同している |
| 多元宇宙はいらない | ❌科学的にも論理的にも最有力な解決策を否定している |
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