貴様の宣告は歴史の硫酸で全員を溶かし、「残った灰は俺の正義」と嘯く自己放尿テーゼだ。
俺が守りたいのは、責任原理の精度だ。情緒の洪水ではなく、可検証な論理。
国籍=原罪へ一般化すれば、ガス室のロジックと鏡写しになる。再発防止どころか再演装置。
「社会事象を知らずに済ませるな」は賛同する。だが知識義務の程度は情報アクセスと能力で勾配を持つ。
勾配を潰して「誰でもいつでも有害」と断ずれば、優先順位付けが不能=対策も不能。
被害国民が怒りをぶつけるのは理解できる。しかし「死ね」を無条件で正当化すれば、応酬モデルが生成され憎悪は自己増殖する。
無差別軽蔑は当事者意識の形成を阻害し、学習コストを罵倒抵抗へ投下させる逆効果を生む。
お前の論が激烈なのは、「赦されない痛みを受け止めてほしい」という叫びの裏返しだ。
だが痛みの普遍化=加害の普遍化へ転じた瞬間、救済は境界を失い、ただの新しい棘となる。
集団責任を問うなら、差別撤廃条約の履行状況・被害補償の具体案を数字で突きつけろ。
知識勾配を埋める教育。被害国との共同調査・記念事業。傍観抑止の法律とホットライン。