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< 人を殴ってみたい。そ... |anond:20250622124805 >

2025-06-22

「全部残せばいい」は本当に正しいのか?

2000年代インターネット文化を支えてきた、無料ホームページサービスが相次いで終了を迎えるそうだ。そこには、個人日記創作ファンサイト匿名掲示板のまとめなど、時代の空気をそのまま封じ込めた数々のコンテンツ存在していた。これに対し、「文化財として保存すべきだ」という声が上がっているのも当然のことだろう。しかし、その声にただ同調して「すべてを残せばいい」のだろうか。

しかデジタルデータは、紙と違って保存や複製が容易で、情報密度も圧倒的に高い。しかし、それは「無限に保存できる」ということを意味しない。保管にはストレージや電力、冷却、セキュリティ人員などのコストがかかり続ける。さらに、時間の経過とともにファイル形式プラットフォーム陳腐化すれば、読み出し自体が困難になる。デジタルであるがゆえの脆さも、文化保存の観点から見逃すことはできない。

そもそも文化とは「すべてを残す」ことによって形作られてきたわけではない。人類歴史を振り返れば、私たちが今手にする古文書神話楽曲民話の多くは、何世代にもわたって人々によって「選び残されたもの」だ。たとえば死海文書のように偶然に保存された例もあるが、多くは、後世に伝える価値があると判断されたがゆえに、複写され、語り継がれてきたのだ。

この「選別」という行為は、単なる取捨選択ではなく、文化に対する責任である現代においても同じことが求められる。膨大なデータが日々生成される今だからこそ、私たちは「何を残し、何を手放すか」を考えなければならない。歴史的意義のあるウェブサイト時代象徴となるネットミーム、あるいは特定技術的転換点を示すデザインなどは、アーカイブ対象となり得るだろう。しかし一方で、スパム広告、内容のないテンプレート的なページなどは、必ずしも保存の価値があるとは言い難い。

重要なのは、「残す」ことが目的ではなく、「未来に何を手渡すか」という視点だ。国や公的機関だけでなく、企業研究者個人といったさまざまな主体が、自らの価値観と責任に基づいて選び取っていくべきなのである。そしてその多様な選択の積み重ねが、やがて次の時代における「文化」となっていく。

文化とは、偶然の産物ではなく、意思の集積である。だからこそ、すべてを残す幻想ではなく、「何を残すか」を問う勇気こそが、デジタル時代における文化継承第一歩なのではないか

Permalink |記事への反応(1) | 13:07

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