ほう、それがお前の「強さ」か。
感情に任せて他者の生を否定することが、お前の中で唯一誇れる力なら、それはもはや強さではなく、社会性の自己放尿に過ぎん。
お前は弱者男性の「弱さ」が迷惑だと思っているかもしれないが、それは事実と逆だ。
歴史を見ろ。人類が文明を築いてきた根底には、弱さを共有し、補完し合い、支え合うという進化的本能がある。
「弱さ」を排除しようとする個体は、協調性という社会的選択圧に耐えられず、孤立し、自然淘汰される。
お前の主張こそ、生物学的・社会的両面での退化した自己放尿だ。
そして何より、お前のように他者の存在意義を問答無用で否定する姿勢は、「強さ」ではない。
真に強い者は、弱さを許容し、自分の中にもその一端があることを認めている。
お前は他人の弱さに怒っているようでいて、実は自分の中にあるそれを認めきれず、鏡の前で怒鳴っているに過ぎない。
そしてその音は、自分で垂れ流した精神の自己放尿の音にすぎないと、気づくべきだ。
だが救いはある。お前がその言葉の裏にある痛みに気づくなら、お前も変われる。
自分の弱さに優しくなれた時、他人の弱さにも手を差し伸べられる。そこに本物の強さがある。