ガンダムジークアクスの10話を見て、エヴァンゲリオン18話の『命の選択を』を思い出した。
ジークアクス10話は要するに平行世界のララァがイオマグヌッソという大量破壊兵器の動力源にされていて大変だ、止めなきゃ、という話。
これはエヴァ18話でいうとイオマグヌッソをエヴァ参号機、ララァをトウジ、シャリア・ブルをゲンドウ、マチュをシンジに置き換えたような人物構成になっている。
普通はエヴァ18話のように大人は個人を犠牲にして大勢を救おうとし、主人公がそれに反発するものなのでは?
ゲンドウがフォースチルドレンを助けるぞと正義感たっぷりに言ってシンジが唯々諾々と従うエヴァみたいな話になっている。
これの一体何処が面白いんだ?
現状に不満を持ち、周囲の大人に反発していた筈のマチュがいつの間にか大人に都合の良い従順な子供になって、すっかりシャリア・ブルの操り人形のようになっている。
それまでジークアクスにおいてシャリア・ブルはずっと何か企んでいそうな意味ありげムーブをしていて、それこそエヴァでいう所のゲンドウ的な黒幕役なんだと思っていたんだけど。それが何故か急に典型的主人公みたいなキャラに変わっている。
それによって周りに被害を出す可能性があったとしても一人を救うというリスクある決断をするのは、本来ならば主人公の役目である筈だ。それを主人公ではなくて何故か、大人しかもそれまで黒幕かと思われていた大人がやっている。これに違和感があった。
もしかしてオタクがアニメに対して、「まともな大人がいない!」「もっとまともな大人を出せ!」「まともな大人が出ている作品は素晴らしい!」って言い続けた結果がこれなんだろうか?
子供が自らの意思で決断しなくて済むように、大人が先回りして道を整えてやってるというか…。
はっきり言ってつまらないんだが、アニメの視聴者が高齢化した世相にはこれでちょうどいいんだろうか。
Permalink |記事への反応(12) | 08:22
たしかミサトさんが川に洗濯へ。加持さんが山へ芝刈りに行く話だったよな。あれエヴァのなかでも屈指のエピソード
×芝 ○柴
駄作のジークアクスと傑作のエヴァの、その中でも珠玉の話を同列に語らないでほしいぜよ
もういい加減いい大人がガンダムがどうのとか恥ずかしいからやめようや 子供の見るもんやで
お金持ってないガキんちょには興味ありません
でもキモくて金のないおっさんには興味津々なんですよねわかります
エヴァしか知らないんだね。。。
シャリア・ブルは言わば、マチュにとって初めて現れたロールモデルなんだよね。 自分がコロニーの中で感じてきた空虚の極北まで到達して、なお生きていけることを証明した人物。 ...
乃木坂成分がないじゃない
で、シャリア・ブルがララァを救いたいとか言い出す。 そんな話してたっけ?全然違う話じゃない?
シャリア・ブル=ゲンドウか冬月 シャア=ユイで シャアを取り戻すためにゼクノヴァを起こそうとするヒゲマンを止める話になるのかと思っていたけれど 別にそんな事なかったな
それな ガンダムが〜と言っている、ってシュウジが言うから、シャアは赤ガンに囚われててシャリアがサルベージするみたいな話かな? と思わせといて シャア普通に生きてて暗躍して...
だったらクレジットで名前でてるだろ
面白くないところを探すの得意で大変結構。 理想的な老害だ。 次は自分自身にその才能を発揮する時
監督や脚本家が歳を取ったので三十代は若者に見えるようになった。 これだと思う。
関係ないけど命の選択をって風呂は命の洗濯よにかけてたのか 今気付いた
最初から分かってたこととはいえ、この作品が「水星」や「鉄血」と明確に違うところは、いわゆる通常のガンダムシリーズではなくファーストを使った「企画物」だということを意識...
シャリア・ブルを素直に黒幕にして 危険な計画を企ませて エグザべはマチュ達と共にそれを止めよう!で良かったと思うんだけどな なんでいつの間にか逆になってるんだろう