国力が低い状態=リスクが大きい」というのは過度な一般化である
まず、この文章の論調は「国力が低い=危険で脆弱」という前提に強く依存していますが、そもそも「国力」という言葉自体が抽象的で、その定義や測り方も文脈によって大きく異なります。軍事力、経済規模、外交力、文化的影響力など多様な要素が含まれうるため、「国力が低い=全体としてダメ」という主張には慎重であるべきです。
たとえば、北欧諸国(アイスランド、ノルウェー、フィンランドなど)は人口も少なく、経済規模で言えば決して「国力が高い」とは言えません。しかし教育、医療、福祉、民主主義の成熟度、幸福度といった面では世界トップクラスです。これらを「例外」として扱うことは、「なぜ例外が成功しているのか」を考える機会を放棄することになります。むしろ、そうしたモデルを広げていくことこそ、持続可能で多様な社会を築く鍵ではないでしょうか。
国力が強くても国民の生活の質が必ずしも高いわけではありません。アメリカは世界最大の経済力・軍事力を持ちながら、医療アクセス、教育の格差、銃犯罪など多くの深刻な社会問題を抱えています。つまり、単に「国力がある=いい国」という等式は成り立たないのです。
現代の国際関係は、冷戦期のような「力による一極支配」よりも、「国際協調・分権・グローバルネットワーク」が重要性を増しています。地域単位での自立や幸福追求、小規模国家の連携はむしろトレンドであり、「小さくても豊かで安定している国」はこれからの世界に適応したあり方と言えます。
国力を「経済成長と競争力」で測る立場は、持続可能性や地球環境、人間のウェルビーイングといった近年重視される価値としばしば衝突します。国際的には「ポスト成長社会」や「脱成長(degrowth)」といった思想が注目されており、経済的拡大よりも内面的な豊かさや社会的連帯を重視する国づくりも十分正当な選択肢です。
「国力を重視しないのは無責任」という主張は、実は非常に価値観に偏ったものです。どのような社会を目指すか、何を「豊かさ」とするかは国民の選択の問題であり、単に国際的パワーゲームに加わらないことが「甘え」や「逃げ」だと決めつけるのは短絡的です。
むしろ、持続可能で幸福な社会を築くうえで、「小さくとも強靭」「地に足の着いた国づくり」ができる国こそ、これからの世界において最も賢明なモデルのひとつなのではないでしょうか。
人口は国力だよ 中国インドを見ればわかる
国力が高くないといけない理由がない
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