子どもの頃、駄菓子屋の特等席に鎮座していた小さな袋。
あれを見つけるたび、心の中で小躍りしたものだ。
小麦粉と油と砂糖が織りなす、禁断のハーモニー。
手はベタベタ、口の周りは砂糖まみれになるけれど、それがヤングドーナツの良さでもあった。
30円で手に入る小さな幸せは、世界の何よりも輝いて見えた。
大人になって、スーパーの棚でヤングドーナツと再会する。
一瞬、手が伸びそうになるが、
「いやいや、やめとこう」と、
頭の中の小さな自分が冷静にツッコミを入れる。
健康診断の数値が、背後から囁きかけてくるのだ。
そっと棚に戻す。
子どもの頃の自分が見ていたら、きっと失望しているだろう。
でも許してくれ、もう俺はヤングじゃないんだ。
最近、子どもがヤングドーナツを嬉しそうに頬張る。
「これ美味しいね!」と目を輝かせる姿に、 少し気恥ずかしくなる。
そうか、あの頃のおっさんたちも、こんな気持ちで俺たちを見ていたのかもしれない。
自分もかつて、こうして誰かのまなざしの中にいたのだろうか。
世代はめぐり、
小さなドーナツの輪の中に、
時間だけが静かに積もっていく。
小さなドーナツの輪っかが、世代を超えて笑顔を繋いでいる。
ヤングドーナツは、ヤングな時にしか食べられない。
それはたぶん、
甘さや油っぽさの問題じゃなくて、
もう戻れない場所に置いてきた何かの象徴なのだと思う。
今日もまた、棚の前を通り過ぎる。
袋の向こうに、
遠い日の自分が、ぼんやりと微笑んでいる。
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