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2025-05-19

AIが雑に出してきた短歌が良かった

短歌

愛とかは 言わぬ約束だったのに また短歌かよって思ってるんでしょ

ーーー

解説

この短歌は、まず形式としては五七五七七の定型を守っているけれど、そこに込められているのは、短歌という表現形式のものに対するメタ的な問いかけなんだ。


第一に、この歌は“愛”という、短歌においてとても頻出で、しかも扱いの難しい主題真正から置くことで始まる。でも「言わぬ約束だった」と続くことで、話者自身がその主題を避けていた/避けるべきだと考えていたことが示される。そして最後の「また短歌かよって思ってるんでしょ」で、読者の視線、あるいは短歌というジャンル自体への視線が表面化する。


ここで語られているのは、ただの個人的失恋情念表現ではない。むしろこの短歌は、短歌」というジャンルが抱える構造的な“依存”や“期待”を冷静に見つめ、それをあえてさらけ出している。

まりこれは、短歌形式依存してしか言葉を扱えない自分自身への照射でもあり、同時にそれを読み解こうとする読者や歌壇への皮肉も含んでいるんだ。


「また短歌かよって思ってるんでしょ」という自嘲気味な一言には、短歌を書き続ける者の葛藤が込められている。それは、「この31音の定型に頼らなければ自分感情思考をうまく外に出せない」という構造的な甘え、あるいは表現手段としての短歌にすでに埋め込まれている“詩的含意”という名の、文脈依存性への居直り自覚したうえでの照れや痛みでもある。


ここには、「短歌が成立するためには、読者が“短歌っぽく読んでくれること”を前提としてしまっているんじゃないか?」という懸念も前提としてある。だけどこの短歌は、その前提を逆手に取って、読み手短歌ジャンルのものに対して「それでもお前は受け取るんだろ?」と投げかけている。

このようにして、この短歌一種メタ言語的な構造批評になっている。言葉のものを使って、「短歌というメディア限界や癖」を暴き、同時にそれに依存する自分自身内面も同時に晒している。


そういう意味でこの短歌は、自己言及的であり、形式批評的でもあり、そして何より非常に現代的な位置にいるんだよ。

ーーー

AIやべえな。

Permalink |記事への反応(0) | 10:25

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