Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録
< 気に食わない同僚が猫... |anond:20250519073049 >

2025-05-19

anond:20250519072527

経済成長を止めると個人寿命が縮むから良くない」という主張には、一見するとヒューマニズム仮面かぶった欺瞞がある。だが、現実はそう単純ではない。

まず、経済成長によって植物資源破壊する行為継続された場合短期的な個人寿命の延伸と引き換えに、地球規模での生態系崩壊する。

そのとき問われるべきは、ある個人が5年長く生きるかではなく、人類全体が今後100年、1000年というスパンで地上に存在うるかという問題だ。

植物が滅ぶというのは単なる食料の話ではない。酸素供給炭素固定、土壌保持、気候調整、あらゆる生命の前提を担っている。

これを失うというのは、生存環境のもの崩壊であり、科学技術医療個人寿命を延ばすなどという話は、もはや前提が成り立たない。

経済成長の名のもとに生命基盤を切り崩す構造は、焼畑農業の延長に過ぎない。今の命を少し長らえるために、未来の命を根絶やしにするやり方だ。

それは寿命問題ではなく、寿命という概念自体が成立しなくなる世界への加速だ。

寿命が縮むから成長は止められないという理屈は、火のついた家の中で「今すぐ風呂に入らないと健康に悪い」と言っているのと同じだ。

問題風呂じゃない、家が燃えていることだ。優先順位理解しない限り、どれだけ医療が進もうが、どれだけGDPが上がろうが、それらはただの燃えカスの上に積み上げられた数字に過ぎない。

人類の存続を語るとき個体寿命尺度にするのは愚かだ。寿命とは生存条件が満たされた上で初めて意味を持つ変数であり、その基盤が崩れているときに、延ばすだの縮めるだのと言うのは倒錯だ。

生命を語るなら、まず生きられる世界を維持しろ。それがなければ、寿命も、成長も、社会も、すべては空論だ。

Permalink |記事への反応(0) | 07:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

記事への反応 -

記事への反応(ブックマークコメント)

全てのコメントを見る

人気エントリ

注目エントリ

ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp