何かを始めるには遅すぎるし、諦めるには若すぎる――そう思っていた。
コンビニのバイトも続かなかった。人間関係もうまくいかなかった。
社会が提示してくる「正解ルート」から外れた自分が、何に向かって生きているのか、まったくわからなかった。
周囲は社会人になり、恋人ができ、引っ越して、肩書きがついていく。
自分には何もなかった。ただ、ひとつだけ、自分に残っていたものがある。
小学校の作文コンクールで、先生に「これは大人が書いたの?」と聞かれたことがある。
内容はどうでもよかったけど、そのとき「言葉って武器になるかも」と思ったのを覚えている。
自分の感情を整理したり、人の気持ちを拾ったりするのは、昔から苦じゃなかった。
だから、自分の孤独や違和感も、無理やりでも文章にすれば、ちょっとだけ意味がついた。
そんな習慣が、いつの間にか唯一のよりどころになっていた。
ある夜、書き殴った文章をネットに投稿した。タイトルも覚えてない。
寝て起きたら通知が溜まってて、知らない誰かから「これ、私のことです」って言われてた。
誰にも言えなかった気持ちを、誰かが受け取ってくれた。それだけで、少し救われた気がした。
「ちゃんと伝わる」っていう実感が、少しだけ自分を肯定してくれた。
俺にとって文章は、誰かを打ち負かす剣じゃない。
せいぜい、寒い夜に自分の手を少しだけ温められる焚き火の火みたいなものだ。
小さすぎて誰かを照らすことはできなくても、それがあると、自分だけは凍えずにいられる。
少なくとも、自分がここにいた証にはなる。
俺は、たぶんこれからも何者にもなれない。