かもしれない。
前に何かで見た「本当に支援を必要としている人は、助けたいと思う振る舞いをしていない」的な格言。めちゃくちゃ実感している。
小学校に勤めているのだが、もう寄り添うのも指導するのも疲れた。自分の力不足はもちろんわかってるんだけど、同じように疲弊して辞めていってる教員が後を絶たないと聞いているし…どうにかならないのだろうか?
いじめられた経験のある人には、なんと無責任なと思われるだろう。こんな奴が教壇に立っていて、本当に申し訳ない。
でも今、我々には「個性・特性に寄り添い、尊重する教育」「頭ごなしの否定ではなく、傾聴や対話」が求められている。それで、救われた子も大勢見てきた。でも、それによって育ってしまったモンスターもたくさん見てきた。
基本的に、不適切な行為については指導・謝罪させることはできても、本人の考え方や性格の問題を指摘してしまうと、人格否定されたとして下手すりゃ訴えられる。その子の特性に保護者の理解があればまだマシだが、おそらく保護者も似たような特性をもっていて、極端な考え方をする人がまあ多い。
そうなると、問題児本人より周りを育てるほうが希望がある…のだが、対人関係に問題がありすぎると、最終的には「揉めるくらいなら近づくな」と言わざるをえない。大人でも、苦手な相手とは最低限の付き合いだけして、仲良くならないというのは、よくある話だ。
「クラスに友達がいない。仲間はずれにされ、先生も友達も助けてくれない。もう学校に行きたくない」と子どもが家で暴れている!
と保護者が乗り込んでくる。
もうどうしろというんだ!
たぶん、世間が思っているよりずっと、職員室では時間と人手をかけて困り間のある子や親へ支援を尽くしている。でも、その多くに家庭の経済状況や保護者の人間関係(離婚、恋人、病歴、逮捕歴など)、発達障害の情報が絡むため、世間どころか支援を受けている本人たちにも、その全容が知らされることは少ない。
それでも、仕事だからどんなに嫌なやつでも助けたいと思ってる教員はたくさんいるんだよ。でも、そう思って差し伸べた手を払いのけられ、散々無能だと責められて、もう同期も何人も辞めた。
いい加減、各校に弁護士が警官を置くか、教室に防犯カメラを付けてくれ。
子どもの味方になってくれる親は心強いが、自分の子どものことしか信じてくれない親が多すぎる。本当に重大ないじめ案件の証拠にもなる。子どもと教員を守るためにも、求められたときに客観的な判断のできる立場が必要だ。
テレビ見ててそう思った。すべてのいじめ事案に、純度100%の被害者がいるなんてことはあまりない。それでも、被害者だろうが加害者だろうが、困ってる子どもは助けてやりたい気持ちもある。まあ未だに学校を南京錠で施錠しているような、ど貧困自治体では何言っても夢物語だけどね。