少し前にアマプラでも配信された映画の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』に感動したあと、各所のレビュー投稿を見て思った話。ネタバレ有り。
SFアクションコメディーのくせに下手なヒューマンドラマよりキャラへの理解を必要としてくるせいでレビュー投稿の書き込みが「ハンバーガーなのにバンズのことしか書いてない」みたいなことになってる気がする。
劇中で大事なのは、「人それぞれの愛すべきところを見つけることで考え方の違いとか嫌なとこがあっても受け入れていこうね」っていうのであって、親切にするのはそのための方法の一つでしかない。
嫌いな仕事の洗濯物袋に目玉シールを貼って可愛くするとかが親切と同列の行動。
まず主軸になってた親子間の問題は中国系移民の世代間ギャップで、アメリカ的な独り立ちをしたい娘と、中国的な家族のまとまりを重視したい母による対立。
家族愛は最初からあった上で、分かり合うのが難しいからもどかしいという話だった。
ラストのベーグルに入った娘を引き戻すシーンは、独り立ちを許容しつつ、求められたら家族として助けるという、柔軟な考えへの変化を示してる。
助けるにあたって家族の絆を確認できるシーンではあったけど、劇中でずっと問題になってた主人公の思考が変化したことのほうが重要。
日本はほぼ単一民族国家だから、文化の違いをどう許容するかなんて考えが身近にないせいで理解しにくい。
しかも普通であれば「母が頑固で悪いとこあるよね」となるストーリーのはずが、日本と中国の文化感が少し似通ってるせいで母の理不尽が感覚的に分かりにくいのもある。例えばアメリカではイレズミなんてそこまで変でもないけど、日本と中国だと犯罪者がやるものみたいに感覚が近い。
同じA24配給のヘレディタリーが暗いばっかりで何が怖いか分からんみたいな意見あったのを思い出したけど、あれも宗教的禁忌みたいな部分を知らないとキャラの怖がるポイントが理解できないから文化が大きな壁になってたと思う。