リアルベースの表現は、そういう規制に引っかかってしまうかもしれないから、フィクションはだんだんと、ファンタジーベースに描かざるを得なくなった。
ファンタジーなら、リアルとは異なる世界観があるというエクスキューズによって、表現規制をいくらか回避しやすくなった。
もちろん、そんなフィクションの隘路はほとんどの人が望んでいなかったが、声の大きい人たちによる表現規制は着々と進んできたのだった。
その結果として、物語のひとつの効能である、人の心に届いて癒し励ます力がだんだん失われつつある。
物語がリアルさを感じさせ、人の心にダイレクトに届くことが無くなり、単なる暇つぶしのひとつでしかなくなってしまった。
だから、人々はフィクションである物語に飽きてしまい、物語よりもずっとリアルさを感じさせる、SNSに代表されるようなネットからの騒乱に身を委ねるようになった。
つまり、最近顕著に現れてきたネットからの騒乱は、古来から伝わる物語の技法が弱体化したから発生していると思うのだ。
だから、そういった騒乱を和らげたいのであれば、物語描写の自由度を再び取り戻す必要があると考える。
そして、いわゆる表現規制が、小説などのフィクションからリアルさを失わせていることを考えれば、私たちは、フィクションの「表現の自由」を声高に主張し続けるべきだと思う。
フィクションが自由に表現できる状態となれば、そういった騒乱に明け暮れる人々を、リアルで人々の心に届くフィクションの方に惹きつけることができるはすだ。
つまり、現実において騒乱を起こしたいという気持ちを、フィクションの中で発散させることができるはすだ。
高度に知能が発達した人間は論文で感動できるのにわざわざハッタショの妄想を覗く必要ないんだよね
アニメは抑えられてるかもしれないけど 小説は関係なくね? まして小説なんかSFの金字塔はLOTRだったり変わってないじゃん
関係ありまーす😝
小説家がエッセイとかで、「昔はこういう表現ができたけど、今は編集からNGが出るようになった」みたいな話をしたりするので、何らかの自主規制はあるんだろうなと。
そもそもあんまり風俗系の小説を読まないから俺の無知だろうけど ヘミングウェイの誰がために鐘は鳴るとか結構えいぐ話だけどいまじゃあウクライナ題材でやってもダメとはならん気...
ある属性の人間を精緻に描こうとすると、その属性の良い面も悪い面も描かなくてはいけないが、その悪い面を描写することがその属性の人間を傷つけるのでダメ、みたいなものは最近...