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2025-04-03

anond:20250403174615

ユダヤ教における「叱責(トクハハ, תוכחה)」の概念を考えると、この問題はいくつかの重要ポイントがあります

1. 叱責の意義:なぜ叱責するのか?

ユダヤ教では、ただ相手批判するのではなく、相手を正しい道に導くために叱責することが求められています

トーラーレビ記19:17)にはこう書かれています

「הוֹכֵחַ תּוֹכִיחַ אֶת-עֲמִיתֶךָ, וְלֹא-תִשָּׂא עָלָיו חֵטְא」

あなた同胞をしっかり戒めなさい。しかし、彼に罪を負わせてはならない。」

まり、叱責する目的は「相手改善」であり、怒りや優越から叱るのはNGということです。

ここでのポイントは、「叱責する側が叱責を嫌と思わない」ことが理由で許されるのではなく、「相手のためになる場合にのみ許される」ということです。

2.愚者への叱責は無駄?(ミシュレー/箴言

ユダヤ教では、「愚者」に対する叱責には注意が必要だとされています

たとえば、箴言ミシュレイ)9:8にはこう書かれています

「לְאִוִּל, אַל-תּוֹכַח--פֶּן-יִשְׂנָאֶךָּ;

לְחָכָם הוֹכַח, וְיֶאֱהָבֶךָּ」

愚者を叱るな、彼はあなたを憎むから。知恵ある者を叱れ、彼はあなたを愛するから。」

まり相手が叱責を受け入れる準備がない場合、叱責は無駄どころか逆効果になるということです。

愚者に叱責すること自体が、愚かさの表れ」とさえ言われることがあります

3. 叱責は「相手基準」で考えるべき

先ほどの話とつなげると、「されて嫌なことはしない」という黄金律の観点から考えても、「叱責が有益でないなら、すべきでない」という結論が出てきます

ユダヤ教では「トクハハ(叱責)」は愛から行うべきものであり、自己満足や単なる批判になってはいけません。

また、叱責が相手のためにならない(=受け入れられない)なら、それはただの迷惑になります

したがって、愚者に対する叱責が許されるのは「彼が受け入れる可能性がある場合」に限られます

4. では、どうすればいいのか?

ユダヤ教では、直接的な叱責が難しい場合は、間接的に教えを伝えることが勧められています

例えば:

  • 例話やたとえ話を使う
  • 相手に問いかけて気づかせる
  • 自分の失敗談を語って、間接的に学ばせる

タルムード(エルビン 13b)では、有名なラビヒレルとラビ・シャマイの違いが描かれています

シャマイは厳しく真理を伝えましたが、ヒレルは優しく、相手が受け入れやすい形で伝えたとされています

結果として、ヒレルのアプローチの方が多くの人に影響を与えたのです。

結論

なので、もし誰かを叱るべきか迷ったら、「この叱責は相手にとって役に立つのか?」を考えるのが大切ですね!

叱責もトーラーの教えの一部、どうせならヒレル流に「愛と優しさ」をもって伝えたいですね😊

Permalink |記事への反応(1) | 18:03

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記事への反応 -
  • 「する」についての論理は言語より物理に依存してるだろ 「赤子を撫でる」が良くて「赤子を殴る」がダメなのは物理依存

    • ネット上ではすべての行為は結局キーボードとかタッチパネルを触ることでしかないので等価?

      • ネット上の行為はむしろ言語に依存してるだろ 言語には言語の倫理があるが、誹謗中傷が悪いことであるというのは「他人にされたら嫌だからこちらからもしない」というルールの派生...

        • 「他人が嫌なことはしない」であって 自分が云々が完全にノイズ

          • それだと「愚者への叱責」が不可能になる 賢者が「自分よりも賢い者からの叱責は喜ぶべきこと」と認識していれば、叱責を「嫌なこと」と捉えなくて済む もし愚者が「叱責が嫌だから...

            • ユダヤ教における「叱責(トクハハ, תוכחה)」の概念を考えると、この問題にはいくつかの重要なポイントがあります。 1. 叱責の意義:なぜ叱責するのか? ユダヤ教では、ただ相手...

              • このユダヤ教AIと、倫理を語る今日の愚者君って同じ奴なの?

            • それは反対に愚者視点で 俺はこれ嫌じゃないから制限ないわってのを認めることになって こだわってるルールに何の意味もなくなるよ

              • ならないよー はーいろんぱっぱ😝

              • 歴史的に見てもこうやって細かくルールが枝分かれするのは、「こういう場合は成立しない」というツッコミがあったから聖書が分厚くなったんであって、倫理における本質とは無関係...

                • 本質でいうと「相手が嫌がることをしない」の方が核でプリミティブだよ 相手の嫌がることを推定する方法として自分に当てはめて見るのが出てきてるし 当然それでノイズが生まれてる

                  • 言われないとわからないじゃん だから結局自分に当てはめるんでしょ? なら自分がされて嫌なことは人にしない でいいよ

                  • 社会のお荷物レベルの愚者、犯罪者、こういう連中を正しい方向に導く際に「助言など嫌だ」と連中が言った場合は? 愚者を導けなければ社会的に損失ですよね?

                    • 本質を突き詰めていくと根本的にこのルールが悪くて社会秩序の維持とか倫理の本質を備えてないと言うことになる 社会のために良いことをして、悪いことはしないのが倫理の一番根っ...

                    • これは非常に重要な問題ですね。「社会のお荷物」とされる人々、あるいは犯罪者や極端な愚か者をどう導くべきか。 まず、ユダヤの考え方では 「すべての人には価値がある」 とい...

          • 「自分が」を述べるのは、他人が何を嫌がるのか完全な判断ができないから だから馬鹿にもわかるように「まず自分が嫌だと思えばするなよ?」と言う 智者には「他人が嫌だと思うこと...

          • おそロシア

        • 「俺は罵倒合戦どんとこいのレスバトラーだから、他人を罵倒するのは悪ではない」 の低能先生ロジックを否定できてないじゃねえか低能

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