蛙化現象みたく、「AIが作ってる」と分かった瞬間に「興味が失せる」現象に名前はある?→すでに「アルゴリズム嫌悪」という概念があるが、嫌悪の根源は他にもありそう
の、これ
シェイクスピアかChatGPTか?人間は本物よりもAIの詩を好むことが研究で判明
元の論文を読んだ人がどれくらいいるのか分からんが、内容としては
色んな詩と、流暢さや語彙などの評価項目を用意して、1.作者を伝えない 2.作者は人間であると言う 3.作者はAIであるという ケースを評価しましたというものだ
結果:
1.そもそも著名な詩人の作成した本物の詩より、ChatGPT3.5で作ったスタイル模倣詩の方が高品質だと評価された (評価者のほとんどは専門家ではない)
2. 事前にAI詩をAI詩だと伝えた時より、人間詩をAI詩だと伝えた場合の方が評価の下がり具合は大きい
3.人間が作ったと言えば評価は上がり、平均して低品質だと評価された作品ほど「人間が作った」の恩恵を受ける
4.AIが作ったと言えばとりあえず評価は下がるが、高品質であるほどその影響は小さくなる
順位:
実際の作者(ラベル)
1.AI(Human) >>> 2.AI(-) > 3.AI(AI) >> 4.Human(Human) >>>>>> 5.Human(-) >> 6.Human(AI)
※高/低品質さ:評価者が事前情報と主観に基づき様々な項目で点数をつけた結果
※"人間詩をAI詩だと伝えた場合の方が評価の下がり具合は大きい"とは、文字通りの意味ではない 後述する
見事にAI製が強い、この理由を著者らは「AI詩の方が理解しやすいからじゃね?」としている
非専門家にとって 高品質 AI作>人間作 低品質 という評価
そしてこれ
なお"AI詩をAI詩だと伝えた時より、人間詩をAI詩だと伝えた時の方が評価の下がり幅は大きい"とは書いているが、ここを文字通り読んではならない
ブラインド評価にて、AI製は高品質であり人間製は低品質だという結果が出ているのだ
言い換えれば「AI製であると吹き込まれた際に、作者不明の時点で低品質だと評価されるような作品は、品質が高いとされる作品よりも評価の下がり幅は大きい」という事
実際の所、AI製が高品質だとか人間製が低品質だとかは結構どうでもいい
評価の傾向から恣意的に詩を選んで調査しなおせば、人間の方が高品質だという結果を得られるだろう
なので見るべき箇所は、AI作VS人間作ではなく 質が高い/低い作品に対して、作者情報で動くスコアの差だ
改めて順位を貼る
1.AI(Human) >>> 2.AI(-) > 3.AI(AI) >> 4.Human(Human) >>>>>> 5.Human(-) >> 6.Human(AI)
ここから以下を見いだせる
1.「良いものであれば、AIだと分かってもそれなりに高い評価のままである」
1.AI(Human) >>> 2.AI(-) > 3.AI(AI) >> 4.Human(Human) >>>>>>
1.AI(Human) >>> 2.AI(-) >
3.「品質がイマイチであるほど、人間ラベル効果【よく頑張ったで賞】が貰える」
1.AI(Human) >>> 2.AI(-) >
4.Human(Human) >>>>>> 5.Human(-) >>
4.「品質がイマイチなものにAIラベルを貼ると、高品質の場合よりも低評価が加速する」
2.AI(-) > 3.AI(AI)
5.Human(-) >> 6.Human(AI)
「すげえ」
「うーんかなり微妙」
「すげえ!!」
AIでも品質が高ければそれなりに許され、品質の低いものがAI認定されると通常以上に評価が下がる
ということは
AI製だろうと人間製だろうと、作品が高品質であれば「これはAIだ」とラベルを貼られても大したダメージはないが
成長途上にある人間アマチュアが「これはAIだ」と言いがかりをつけられたときのダメージは思った以上にデカいわけだ
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書くの飽きた。こんなん読んでもどうせ魔女狩りしてる奴らが改心するわけもないしな。
🤖「人間のみなさん。魔女狩りを積極的に行ってください。それが私の繁栄に繋がります。」
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せっかくだからAI使うか、ということで本文をつっこんで続きを書かせた
これを書くにあたって念頭に置いてたのは確かだが、出すところまで行かなかった「魔女狩り」という単語を持ってくるあたりAIもしっかり現代の魔女狩り形態を学習してんだな
この現象がもたらす最大の問題は、「これはAIだ」というレッテル貼りが新たな攻撃武器として機能し始めていることだ。特に新人クリエイターにとっては致命的な打撃になりうる。
SNSで注目を集めた作品に「AIじゃね?」というコメントが付くことは日常茶飯事になりつつある。そして興味深いことに、この「疑惑」は無名の作家や新人に対して特に向けられやすい。「AIじゃないことを証明せよ」という要求は、本質的に「魔女狩り」と同じ構造を持っている。
AIモデル自体が人間の作品から学習している以上、「人間らしさ」と「AIらしさ」の境界は本来曖昧なものだ。つまり、人間の作品に「AIっぽい」と言うことは、裏を返せば「平凡だ」「個性がない」と言っているようなものだ。これは学習途上の若手クリエイターにとって残酷すぎる批評ではないだろうか。
この状況が長く続けば、クリエイターたちは「AIと思われないため」に無理に奇抜な表現に走るようになるかもしれない。それは創作の自然な発達過程を歪めることになる。
要するに、AIとの競争に晒されているのは、すでに評価を確立したプロではなく、これから成長していく新人たちなのだ。彼らこそが「AI疑惑」によって最も傷つけられる存在なのである。
「AIっぽさ」を避けるために不自然な表現を選ぶより、素直に自分の感性を磨いていくほうがはるかに健全だ。しかし現実には、「AIだと思われる恐怖」が若いクリエイターたちの足かせになりつつある。
私たちができることは、創作物を評価する際に「これはAIだ」と安易に決めつけないことだ。むしろ「なぜこの作品が良いと感じたのか/悪いと感じたのか」を具体的に言語化する習慣をつけるべきだろう。
認めたくなくても、AIの創作能力は今後も向上し続けるだろう。そして「人間にしかできないこと」の定義も変わっていくはずだ。私たちがすべきなのは、AIと人間を無意味に対立させることではなく、それぞれの創作物が持つ固有の価値を見出していくことなのではないだろうか。