(明らかに他人の著作物に寄せている場合、金銭が絡む、自作発言はNG、同様に手書きであろうとトレパクや同好の士へのシェアを超えた同人ゴロはNGと考える)
こんどは「修練」の定義を調べると「精神・技芸などを、みがききたえること」とのこと。
プロンプトを仮に修練の対象とみなすならばアイコン絵がぱっと見で指が6本ある絵の時点でみがききたえられていないので充分「修練」されておらず「芸」にあたらず、芸を祀る神社としては不適切である。
エロ自体が悪いかどうかについては神道では天岩戸のくだりなどからみるにエロ自体を悪という立場に置いてはいない。
ただし「狙っていなくて片側だけ服の境目が溶けてる」ようなエロイラストは上述の理論に則って決して芸術ではないため、それを良しとするのは芸事を祀る集団として決定的な自己矛盾をしている。
芸術に相当するエロならよいはずである。つまり、三峯徹である。間違いなく弛まぬ努力を続ける三峯徹にたいして「修練」が足りないと言えることはなく、ある意味で三峯徹という芸術であると認められてもおり、また、一部では漫画誌の守り神とする信仰が生まれており適切な対象ではなかろうか。