少し前に交通事故に遭った。
痛みを感じる度になぜ殺してくれなかったのかと絶望した。
救急車で実家の電話番号を伝えると、母親が今から向かうとのことだった。
子供の頃に一緒に遊んでもらった記憶も無いし、悩み事があっても相談出来る間柄ではなかった。
わたしには手のかかる弟が2人いた。
物心ついたころには母親は弟の世話で忙しく、父親は仕事で朝早く出て夜遅く帰ってくるためほとんど会わなかった。
そんなことを誰かによく言われた気がする。
弟の世話で忙しい母親に話しかけてもピリピリしており相手にしてもらえず、家事の手伝いをしたいと言っても忙しいから今は無理と言われ、なにかしらの事があって怒られるくらいしか関わった記憶が無い。
怒られてる最中に言い訳をしようものならより怒りを買うだけだし、こちらの話に耳を傾けようともしなかったので、次第に話しかけるのを諦めたし関わりたくなかったので家では大人しくしてやり過ごした。
その頃に母親からよく言われた言葉は「近所の人に虐待と通報されたくないから最低限飯を食わせて学校にも行かせて育ててやってる、感謝しろ」だ。
父親は仕事で忙しく、家事も子育ても協力していないからノイローゼになっていたんだと思う。
それにしても言い過ぎではないか、と子供ながらに思っていた。だって今でも覚えているのだし。
思い返せばその頃から人生に絶望していて死にたかったように思う。
中学生のころにクラスに馴染めず、小学校から仲の良かった元友人からも無視されるようになった。
学校に居場所がなくストレスで体調不良になり、休みがちになった時期があった。
母親に今日も休みたいと伝えると「また?」というような返事が返ってくる。
こちらも言いたいことはいろいろあった。うまく言葉に出来ず黙って泣いていると「私、不登校の親になりたくないから。」とバッサリ言われた。
高校、大学時代は学校が終わったらすぐアルバイトに行き、家にいる時間を極力減らして過ごした。
母親からは「アルバイトをしているからお小遣いを渡さなくて良いわね」と喜ばれた。
わたしはなにも言い返すことはしなかった。
大学と普通のアルバイトの両立は難しく、デリヘルでたくさん稼いだ。
もちろん親には言っていない。
人との関わり方があまりうまくないので、ヘラヘラと笑って流されるうちに危ない目に何度もあった。
でも自分の身体なんて別に大事じゃないし、妊娠さえしなければ大丈夫だろうと思っていた。
友人から教えてもらったサイトで低用量ピルを個人輸入し、自分の身は自分で守れているフリをしていた。
性病には何度かかかったが、重篤な病気にならなくて本当に良かったと思う。運が良かった。
恋人がいたこともあったが、幼稚すぎるわたしに相手は皆んな飽きれて離れていった。
すべて母親の責任にするつもりはないし、親からの扱いがひどかったとしてもめげずにこちらから関わるべきだったのかもしれない。
でも、無理だった。心が完全に死んでいた。
ずっと心が死んだままわたしは生きていた。
水商売から足を洗い家を出て社会人になり数年、親とも適度に距離があればうまく関われるようになった。
恋人と同棲していると嫌なところばかり目に入ってしまってうまくいかない。
わたしは一緒に住んでいる人のことを嫌いになりやすいだけなのかもな、と思っていた。
その恋人とも結局別れた。
恋人と別れたストレスや残業続きで睡眠不足、寂しさを紛らわせるために休みの日も予定をぎゅうぎゅうに詰めた。そんなときに交通事故に遭った。
運転中意識を失っていたのか、わたしは信号無視して交差点に侵入して、右から来た車と衝突したらしい。
状況を理解したと同時に、なんで殺してくれなかったんだろう?と思った。
偶然とはいえ、せっかくチャンスだったのに。
骨を固定するためのパーツが届き次第じゃないと手術が出来ないというのと、緊急でしなくても問題ないらしく、後日になるとの事でその日は帰された。
あまり動けずさっきまで車椅子に乗っていた子供を置いて母親はスタスタと歩いて先へ行く。
会計のときにわたしの名前を呼び、「〇〇万だって。払える?」と聞いてくる。
持ち合わせてないというと立て替えておく、とのこと。
運ばれた病院は駐車場が少し離れていて、母親は立体駐車場の階段のほうに向かい「大丈夫でしょ?」と言い着いて来させた。
ついさっき事故に遭って、全身打撲と骨折もしてるんだけどなと思いつつ、こういう人だし、と諦めてもいた。
身体も全身痛いけど頭痛が激しく、吐き気もあり実家まで持たないのでわたしは1人家に帰されて、次の日迎えに来るからと言い母親は実家に帰った。
わたしの実家以上に離れたところに住む友人が始発で駆けつけてくれて看病(?)をしてくれた。
頭打ってるし、吐き気もあるって言っている人を普通1人にして帰らないよねと友人に言われた時はなんとも言えない気持ちになった。
身内に頭を打って、吐き気もあるしやばいと思って病院に連れていったら一命を取り留めた人がいるらしい。
知らなかったならしょうがないにしても、あの人は義務感のみでわたしの母親をやっているんだなと思った。
世話をしないと虐待で捕まるから。親として子供が怪我をしたら迎えに行かなきゃいけないから。そうしないとバチが当たるから。
次の日の夕方母親が迎えに来て、しばらく実家に世話になったが離れていた距離が一気に近くなってしまったため居心地が悪かった。
怪我をして具合も悪くわけのわからない状態で保険屋の対応をしなければならず、ちゃんと話をしなければならないしこういう時ふつう家族の人が代わりに対応とかするよねと病院の先生に言われてまた微妙な気持ちになった。世の中知らない事ばかりだ。
ありがとうございます、生きててよかったですとわたしも笑う。
わたしのために泣いてくれた人もいた。
でも、ずっとわたしはあの日から生きててよかったなんて思ったことは一度もない。
死にたかった、何故あのとき殺してくれなかったんだろうとずっと思っている。
はやく楽になりたい。