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2025-03-07

交通事故に遭った 死にたかった

少し前に交通事故に遭った。

偶然起こったものだったがあの時にわたしは死にたかった。

痛みを感じる度になぜ殺してくれなかったのかと絶望した。

救急車実家電話番号を伝えると、母親が今から向かうとのことだった。

わたし母親があまり得意ではない。

子供の頃に一緒に遊んでもらった記憶も無いし、悩み事があっても相談出来る間柄ではなかった。

わたしには手のかかる弟が2人いた。

物心いたころには母親は弟の世話で忙しく、父親仕事で朝早く出て夜遅く帰ってくるためほとんど会わなかった。

わたしは家の隅で大人しくひとり遊びをするしかなかった。

「〇〇は大人しくて手がかからなくていい」

そんなことを誰かによく言われた気がする。

弟の世話で忙しい母親に話しかけてもピリピリしており相手にしてもらえず、家事の手伝いをしたいと言っても忙しいから今は無理と言われ、なにかしらの事があって怒られるくらいしか関わった記憶が無い。

怒られてる最中言い訳をしようものならより怒りを買うだけだし、こちらの話に耳を傾けようともしなかったので、次第に話しかけるのを諦めたし関わりたくなかったので家では大人しくしてやり過ごした。

その頃に母親からよく言われた言葉は「近所の人に虐待通報されたくないから最低限飯を食わせて学校にも行かせて育ててやってる、感謝しろ」だ。

父親仕事で忙しく、家事子育ても協力していないかノイローゼになっていたんだと思う。

それにしても言い過ぎではないか、と子供ながらに思っていた。だって今でも覚えているのだし。

まらない子供時代だったと我ながら思う。

思い返せばその頃から人生絶望していて死にたかったように思う。

中学生のころにクラスに馴染めず、小学校から仲の良かった元友人から無視されるようになった。

学校に居場所がなくストレス体調不良になり、休みがちになった時期があった。

母親今日休みたいと伝えると「また?」というような返事が返ってくる。

こちらも言いたいことはいろいろあった。うまく言葉に出来ず黙って泣いていると「私、不登校の親になりたくないから。」とバッサリ言われた。

次の日から学校に行った。

この人には何を言っても無駄なんだと確信した。

わたしの居場所は家にも学校にも存在しなかった。

高校大学時代学校が終わったらすぐアルバイトに行き、家にいる時間を極力減らして過ごした。

母親からは「アルバイトをしているかお小遣いを渡さなくて良いわね」と喜ばれた。

わたしはなにも言い返すことはしなかった。

大学普通アルバイトの両立は難しく、デリヘルでたくさん稼いだ。

もちろん親には言っていない。

人との関わり方があまりうまくないので、ヘラヘラと笑って流されるうちに危ない目に何度もあった。

でも自分身体なんて別に大事じゃないし、妊娠さえしなければ大丈夫だろうと思っていた。

友人から教えてもらったサイトで低用量ピル個人輸入し、自分の身は自分で守れているフリをしていた。

性病には何度かかかったが、重篤病気にならなくて本当に良かったと思う。運が良かった。

恋人いたこともあったが、幼稚すぎるわたし相手は皆んな飽きれて離れていった。

なんでわたしはこんな人生を歩んでいるんだろう?

すべて母親責任にするつもりはないし、親からの扱いがひどかったとしてもめげずにこちから関わるべきだったのかもしれない。

でも、無理だった。心が完全に死んでいた。

ずっと心が死んだままわたしは生きていた。

水商売から足を洗い家を出て社会人になり数年、親とも適度に距離があればうまく関われるようになった。

距離が近すぎる人との人間関係はむずかしい。

恋人同棲していると嫌なところばかり目に入ってしまってうまくいかない。

わたしは一緒に住んでいる人のことを嫌いになりやすいだけなのかもな、と思っていた。

その恋人とも結局別れた。

恋人と別れたストレス残業続きで睡眠不足、寂しさを紛らわせるために休みの日も予定をぎゅうぎゅうに詰めた。そんなとき交通事故に遭った。

運転意識を失っていたのか、わたし信号無視して交差点侵入して、右から来た車と衝突したらしい。

目が覚めたときわたし救急車にいた。

状況を理解したと同時に、なんで殺してくれなかったんだろう?と思った。

偶然とはいえ、せっかくチャンスだったのに。

検査を一通り終わると母親が来ていた。

骨を固定するためのパーツが届き次第じゃないと手術が出来ないというのと、緊急でしなくても問題ないらしく、後日になるとの事でその日は帰された。

まり動けずさっきまで車椅子に乗っていた子供を置いて母親はスタスタと歩いて先へ行く。

会計ときわたし名前を呼び、「〇〇万だって。払える?」と聞いてくる。

持ち合わせてないというと立て替えておく、とのこと。

運ばれた病院駐車場が少し離れていて、母親立体駐車場階段のほうに向かい大丈夫でしょ?」と言い着いて来させた。

ついさっき事故に遭って、全身打撲と骨折もしてるんだけどなと思いつつ、こういう人だし、と諦めてもいた。

身体も全身痛いけど頭痛が激しく、吐き気もあり実家まで持たないのでわたしは1人家に帰されて、次の日迎えに来るからと言い母親実家に帰った。

わたし実家以上に離れたところに住む友人が始発で駆けつけてくれて看病(?)をしてくれた。

頭打ってるし、吐き気もあるって言っている人を普通1人にして帰らないよねと友人に言われた時はなんとも言えない気持ちになった。

身内に頭を打って、吐き気もあるしやばいと思って病院に連れていったら一命を取り留めた人がいるらしい。

知らなかったならしょうがないにしても、あの人は義務感のみでわたし母親をやっているんだなと思った。

世話をしないと虐待で捕まるから。親として子供怪我をしたら迎えに行かなきゃいけないから。そうしないとバチが当たるから

次の日の夕方母親が迎えに来て、しばらく実家に世話になったが離れていた距離が一気に近くなってしまったため居心地が悪かった。

怪我をして具合も悪くわけのわからない状態保険屋の対応をしなければならず、ちゃんと話をしなければならないしこういう時ふつう家族の人が代わりに対応とかするよねと病院先生に言われてまた微妙気持ちになった。世の中知らない事ばかりだ。

手術も成功し、仕事も復帰した。

職場人達からは生きてて本当によかったと言われる。

ありがとうございます、生きててよかったですとわたしも笑う。

わたしのために泣いてくれた人もいた。

でも、ずっとわたしあの日から生きててよかったなんて思ったことは一度もない。

死にたかった、何故あのとき殺してくれなかったんだろうとずっと思っている。

はやく楽になりたい。

誰にも自分のすべてをさらけ出せないので、こうしてインターネットの海に流します。

Permalink |記事への反応(0) | 15:42

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