そんな言葉が頭をよぎることがある。
A×Bが好きな人もいれば、B×Aが好きな人もいるし、解釈の違いで争うつもりはない。
でも最近、「キャラを自分のものにしすぎでは?」と感じることが増えた。
具体的には、以下のような行為のことだ。
問題提起(具体例を挙げる)
「○○の女」「○○の母」といった所有感の強い呼称
これらが、なぜか「公式でもないのに、公式以上にキャラを所有しようとしている」ように見えてしまう。
「○○と言えば××さん」—— その一言が、他の○○推しを潰し、界隈を過激化させる
「○○の女」「○○推し」「○○担」
そういった言葉で、キャラや作品のファンが盛り上がることは、決して悪いことではない。
だが、そこにもう一つ、見逃せない現象がある。
「○○と言えば××さん」
これは、一見すると単なる称賛だ。
「××さんが描く○○くん、最高すぎる!」
「××さんの○○イラストを見て、○○を好きになった!」
その気持ちは、めちゃくちゃ分かる。
実際、自分も「この人の解釈、めちゃくちゃ刺さる」と思うことはある。
だが、ふと気づいた。
「○○と言えば××さん」
—— それ、本当にただの称賛か?
「○○を描くなら、やっぱり××さんだよね」
「○○は××さんの解釈が一番しっくりくる」
「××さんの○○が完璧すぎて、他の人の○○が目に入らない」
こうして、「○○を描きたい」「○○について語りたい」他の人は、次第にこう思うようになる。
「○○を描きたいけど、××さんと違う方向性だし、荒れるかも……」
「○○推しの間で定着したイメージと違うから、発言しにくいな……」
そして、こうなる。
「○○について語るのは××さんだけでいいよね」
「○○は××さんの解釈が完成されてるから、新しいものは特にいらない」
「○○が好き」だったはずなのに、なぜか「○○を語る資格」が問われる状況。
こうして、「○○推し」は減っていく。
「○○について自由に話せる空間」ではなく、「○○について話していい人が決められる空間」になっていく。
解釈の固定化が進むと、公式が新しい情報を出したときに問題が発生する。
「いやいや、○○はこういうキャラじゃないって!」
「○○の解釈、壊された……もう終わりだ……」
「こんなの○○じゃない!公式わかってない!」
「こんな展開、ありえない!炎上させるべき!」
その結果、どうなるか。
「○○推しって、怖いよね……」
もはや、○○自身は何もしていないのに、○○の印象が悪くなる。
「キャラは誰のものでもないはずなのに、気づけばファンの言動がキャラの印象を決めてしまっている。」
「○○の女」「○○推し」と名乗ることが、いつの間にか○○の"顔"になってしまう。」
でも、「○○が好き」という言葉が、なぜか「○○のファンは面倒くさい」につながってしまう現象には、少しだけ違和感を覚える。
本当に、○○のことを大事にしたいなら、推しの名前を掲げて暴れることが、最善の方法なんだろうか?
そんなことを、ふと考えてしまう。
「○○と言えば××さん」
これには当然いろいろな亜種がある、その中でもひとつ違和感を持ったものをついでに挙げておく。
「推しのケモ化」そのものは、二次創作としてよくあるし、それ自体を否定するつもりはない。
例えば、ファンタジー作品の獣人キャラを、より獣らしく描いたり、動物をモチーフにした作品でその要素を強調するのは自然なことだ。
でも、問題は「何でもかんでも、描き手の好きなケモフォーマット、それも描き手のオリケモのテンプレートに押し込める」ことだ。
「どんなキャラでもこの形にする」 というやり方。
たとえるなら、
「キャラをケモにする」のではなく、「キャラをオリケモテンプレの型に流し込んでいる」 感じだ。
これが違和感の正体だ。
顔は同じ。
体つきも同じ。
ついている耳と尻尾もみんな同じ。
「○○くん(ケモ化)」ではなく、
「△△さんのオリケモフォーマットに、○○くんの服を着せただけの何か」 になっている。
例えば、こういうのを見たことがある。
「この作品の全キャラを、私が考えた“オリケモ”にしました!」
そこには「キャラのケモ化」ではなく、
「推しの顔を消して、自分のフォーマットに取り込む行為」がある。
顔や体つきは全部同じテンプレ
服や小物だけ、そのキャラっぽい要素を足しただけなのに「○○くん」として扱われる
公式のキャラをそうやって「何でもかんでも、自分のフォーマットに落とし込む」のは、
もはや「推しの二次創作」ではなく、「推しの吸収」 ではないか?
キャラのデザインを変えること自体は、二次創作の自由の一環として許容されるべきなのかもしれない。
だとしたら、とやかく言うべきではないのだろう。
この「ケモテンプレに飲み込まれたキャラ」を、その姿のままグッズ化して販売しているのをよく見る。
「ジャンル関係なく全キャラをケモ化しました!」→ まぁ個人の自由
「そのデザインでアクキー作りました!BOOTHで販売中です!」→ ……???
更に付け加えると、そのキャラのグッズはほしい。
だが、俺が欲しいのは「そのキャラのグッズ」であって、キャラの個性を無視してテンプレートに押し込められた、別の存在ではない。
公式の供給が少ないのはわかる。だからこそ、ファンが二次創作のグッズを作ること自体は否定しない。
だが、いくら供給が少ないからといって、俺の「○○くんグッズ欲しい!」という欲求を満たすものが、「俺の知らない姿に変えられた○○くん」だったらどうだろう?
「公式がグッズを出してくれないなら、自分で作る」→ わかる。
「推しを自分のケモフォーマットに落とし込み、その姿でグッズ化して販売」→ ……???
俺は「○○くんのグッズ」がほしいのであって、
「○○くん(※ただし△△さんが考えたケモフォーマットで変換済み)」のグッズがほしいわけではない。
もはやこれは、「二次創作グッズ」ではなく「オリジナルグッズ」なのではないか?
公式がグッズを出さないからこそ、ファンが供給を補う気持ちはわかる。
でも、それが「公式のキャラ」ではなく「個人の解釈を押し付けられた姿」であるならば、
それを「推しグッズ」と呼んでいいのか?
俺は、公式の○○くんがほしい。
俺の知らない姿に変えられた○○くんではなく。
これはケモに限らず、女体化などの○○化にも当てはめることができるのではないだろうか。
まとめ。
「○○は俺のもの」
「○○と言えば××さん」
「○○はうちの子」
「○○の○○化!」
一人称だけ変えても女の文章丸出しで草
n次創作者からするとBOOTHでグッズ販売までやってないから界隈が違いすぎてビビる グッズ販売そのものが己の所有物化みたいなところあるしな 公式のキャラをそうやって「何でもかん...