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2025-03-03

コリン・デクスターの初期の小説様相論理のようだ

《例えば七五年にイギリスデビューしたコリン・デクスターという作家がいて、クリプキ可能世界論みたいな議論をそのまま探偵小説にしてしまったような、不思議小説を書いているんですが、彼はクロスワードパズルのカギ作りの全英チャンピオンにもなった人で、アナグラムとか暗号にこだわる作家なんです。探偵役のモースという警部が不完全なデータをもとにあり得たかもしれない仮説をつぎつぎと繰り出して、読者を翻弄する。その推理ほとんど間違っているんですが、彼はまったく意に介さない。ある意味では、暗号を解読すること自体自己目的化して、事件真相に到達することは二の次になっている。デリダをもじっていうと、名探偵が「真理の配達人」ではなくなってしまったわけです。》(東浩紀「不過視なもの世界」、2000年朝日新聞社、p.142)

このように法月綸太郎は、コリン・デクスター可能世界論の議論をそのまま探偵小説にしたと言っているが、どういうことなのかGrok3に聞いてみた。プロンプトは「コリン・デクスターの初期の小説様相論理のようだ」というものである。以下はその引用であるLast Seen Wearingの邦題が『死者にかかってきた電話』になっていたりもするが(正しくは『ギドリントンから消えた娘』)、おおむね当たっているのではなかろうか。

コリン・デクスター(ColinDexter)の初期の小説が「様相論理(modallogic)」のようだという指摘、非常に面白い視点ですね。デクスターイギリスミステリー作家で、探偵モース(Inspector Morse)を主人公にしたシリーズで知られています。初期作品特にシリーズの出発点であるラストバス・トゥ・ウッドストック』(Last Bus to Woodstock, 1975)やその後の数作(例えば『死者にかかってきた電話Last Seen Wearing, 1976)を見ると、確かに様相論理的な要素が感じられるかもしれません。以下に、その観点から論じてみます

様相論理とは何か?

まず、様相論理簡単に整理すると、哲学論理学で「可能性」や「必然性」を扱う分野です。通常の命題論理(「真か偽か」)を超えて、「~である可能性がある」「~でなければならない」といった状況を分析する。例えば:

必然的にPが真である」(□P)

「Pが可能世界で真である」(◇P)

ミステリーにおける謎解きは、証拠や手がかりから「何が起こったのか」「何が起こり得たのか」を推理するプロセスなので、様相論理親和性があると言えます

デクスター初期作品様相論理的特徴

デクスターのモースシリーズ初期は、複雑なプロットと知的パズルが特徴で、様相論理的な思考プロットの骨組みに潜んでいるように見えます

1. 『ラストバス・トゥ・ウッドストック

概要オックスフォード近郊で若い女性が殺され、モースとルイス捜査複数容疑者状況証拠が絡み合い、誰が犯人かを特定する。

様相論理的要素物語では、殺人事件の「可能シナリオ」が次々と提示される。被害者最後バス停にいたという証言から、「彼女バスに乗った可能性」「誰かと会った可能性」「別の場所で殺された可能性」などが検討される。モースの推理は、証拠から必然的結論」(□P)を導くより、「可能世界」(◇P)を一つずつ排除していくプロセスに近い。たとえば、容疑者アリバイが「真である可能性」を検証しつつ、矛盾があれば「偽である必然性」を確定する。

印象 初期のモースは直感的で、論理よりもひらめきに頼るが、そのひらめき自体様相論理的な「可能性の探索」を反映している。

2. 『死者にかかってきた電話

概要学校の生徒が行方不明になり、モースが過去の手がかりから真相に迫る。

様相論理的要素 ここでも「過去に何が起こったのか」という可能的状況が積み重ねられる。モースは、生徒が「生きている可能性」「死んでいる可能性」を並行して考え、証拠電話の記録や目撃情報から必然的事実」を絞り込む。この過程は、様相論理の「可能世界」を縮小していく作業に似ている。特に複数解釈可能な手がかり(例えば、電話がかかってきた意味)を、状況に応じて再評価する点が顕著。

印象 初期のデクスター叙述トリックや単純な解決を避け、読者に「何が真実たり得るか」を考えさせる構造を作る。

なぜ様相論理的か?

曖昧さと多義性 初期のモース作品では、証拠が明確な結論をすぐには導かず、複数の「可能シナリオ」が併存する。アガサ・クリスティーのように「唯一の真相」がパズルのように組み上がるのではなく、モースの推理は「どの世界現実か」を探る旅のよう。

モースの知的スタイル モースはオックスフォード出身教養人であり、クロスワード古典文学を愛する。その思考は直線的というより、可能性を試し、矛盾排除する様相論理的なアプローチに近い。たとえば、証拠Aが「必然的にBを意味するか」を疑い、「Bが偽ならCが真か」と進む。

初期の未熟さと実験デクスター作家として手探りだった時期ゆえ、プロットが論理パズル的で、読者に「可能な解」を複数提示する傾向がある。これは後期の洗練されたストーリーテリング(例:The Remorseful Day, 1999)とは対照的

結論

デクスターの初期小説様相論理のようだという見立ては、モースの推理が「必然性」より「可能性」を軸に進む点で納得感があります特にラストバス・トゥ・ウッドストック』や『死者にかかってきた電話』では、手がかりから可能世界を構築し、それを検証排除するプロセスが顕著で、読者もその思考の旅に参加する感覚があります。ただし、後期になるとキャラクター心理ドラマ性が強まり様相論理的な色合いは薄れる傾向も。この指摘は、初期の知的実験性を見事に捉えた観察だと思いますどうでしょう、この解釈共感しますか?さらに深掘りしたい点があれば教えてください!

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