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< anond:20250218025713 |20とか30とかで結婚と... >

2025-02-18

銀杏亭の謎

深夜23時、原稿の締切に追われる私のスマートフォンが震えた。編集者荒木さんからLINEだった。

「今回の連載『東京グルメ迷宮案内』、読者から描写淡白』って苦情が来てるんだ。明日までに食べログ5つ星レベル文学性ぶっ込んだ文章を書いてくれない?」

冷や汗が背中を伝う。パソコンの前で12時間カップ麺の残骸が積み上がるデスク。窓の外で救急車サイレンが遠吠えする。

ふと目に留まったのが、亡き祖母がくれた手帳。革表紙の隙間から銀杏の葉の標本がはみ出している。あの秋の日、認知症が進んだ祖母最後に連れて行ってくれた老舗洋食屋記憶が蘇る。

「そうだ…『銀杏亭』なら」

銀座駅から歩いて15分の路地裏。ネオンの海から漏れ月光が、ひび割れ看板を撫でる。「洋食銀杏亭」の文字昭和レタリングで、金箔が剥がれた部分から下層の青が滲んでいた。

ドアを開けるとベルではなく実際の鈴の音1920年代蓄音機から流れる銀座の恋の物語」が、ハムスター小屋のようなカウンター席を包む。店主・岩崎老人の背広には、長年の油煙が抽象画のように染み込んでいる。

親子丼は終わったよ。今日デミグラスソースが深いかオムライスお勧めだね」

声の主は厨房の影にいた。白髪交じりの頭髪を七三分けにした老紳士が、銅製のフライパン錬金術師のように操っている。卵を割る音が教会の鐘のように清冽だ。

現れたオムライス生物学標本のようだった。半熟の黄身が薄絹をまとった古代都市ドームか、地殻変動で現れた黄金の泉か。ナイフを入れると、記憶封印が解ける。

トマトの酸味とフォアグラの深みを併せ持つ謎のソースが、舌の上でフラメンコを踊る。中から現れたのは、松茸と謎の赤い実のコンフィ。突然、祖母が病床でつぶやいた言葉を思い出す。

「あのソース秘密はね…」

厨房から聞こえる岩崎老人の咳払いが、チェロの重低音のように響く。窓ガラスに映る自分の目が、なぜか少年時代祖母に似ている気がした。ふとテーブルの下を見ると、銀杏の葉が一枚、消えかけたインクで「1946.11.3」と記されていた。

帰り道、スマホ食べログを開く。銀杏亭のページは存在しない。いや、正確には検索結果が常に波打ち、星の数が4.8と3.2の間を振動しているのだ。近所のコンビニで買ったブラックコーヒーが、突然、あのデミグラスの余韻を帯びてきた。

荒木さんへの返信欄に指をかざす。「今回の原稿たっぷり文学性を仕込みました。でも本当の謎は、私がいつからこの店の継承候補になったのかということです」

送信ボタンを押す直前、画面が銀杏色に輝いた。ふと気付けば、手の甲にシミのように滲んだソースの跡が、月齢図のように瞬いていた。

Permalink |記事への反応(1) | 03:05

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