自分ではなんか違うとは思うんだけど、どうも何が違うのか分かんなくておんなじじゃないかとも思って整理ができないでいる。
能登や、或いは三陸海岸に住んでいる人たちが「俺たちの先祖は昔からここに住んでいるんだ」「ここに住む以外にないんだ」「仲間もここにいる」「漁場も知り尽くしているのに他のところになんていけない」みたいなことを言うとしたら、それは腹に落ちる。
一方カリフォルニアのセレブ達が「ここに住むことで様々な関係性が維持できる」「ここに住んでいるというブランドイメージが自分の職業として評価に直結するんだ」「セレブばかりのこの土地に住む方がセキュリティや教育面で安心できる」みたいなのを、ちょっとわがままに感じてしまう。
なんとなーく、カリフォルニアの人たちは「火災がひどくなるってわかってたじゃん自己責任じゃん」みたいな感覚を、日本の(?)災害に遭った人たちとは違った感じに思っちゃうのね。
この2つって、全く同じかな違うのかな。
いや勿論2つを比較するとき、同じ要素を並べることもできるし違うことを並べることもできるのでどういう評価軸で比較するかなんだけど、その評価軸がどこにあると自分の中の何かがクリアになるのかな。
家事をイベントとして楽しんでるハリウッドセレブと 命を失い、また寄る辺もなく苦しんである能登半島の住民を比べる事自体、酷い侮辱だと思う