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2025-02-09

毎夜

音楽大学に進学しても良いと言ってくれた両親のことを、当時高校生だった私は信用できませんでした。アップライトピアノも買えない(買ってくれない)んだから音大学費を出してもらうのは無理だろうと思ったし、両親は私に家計の話を詳細にはしてくれなかった。

私は音大に進学しても自分お金に困ることになるだろうと予想し、受験することを諦めました。そして地元一般大学に入りました。

一方で、末子の妹は都内にある私立美術大学に進学しました。

妹の大学入学後、両親は、「見てわかる」作品を持って帰ってくる妹のことばかりを誉めるようになりました。私はそれが嫌でした。特に父親

私は文学部に入ったか課題ではレポートを書くことくらいしかやらなかったけど、そこそこ良い成績を取り続けた4(5)年間だったし、課外活動もそれなりに頑張りました。でも私は「見てわかる」成果をもっていなかったし、両親は私よりも妹に興味があるようでした。

当の妹は、家の外でのコミュニケーションはそつなくやるくせに、家族とのコミュニケーションを疎かにします。家事も全くしないし、食器洗いを私にやらせるし。近頃は明け透けに私を軽蔑した態度をとります。

両親は生活学業にかかるお金を全て負担してくれたし、成人した子どもたち3人に対するケア労働を不足なくこなしました。こんなにも恵まれた家庭に育ったくせに甘えたこと言ってんじゃねえよ、と自分でも思います。でも私は実家のことが嫌いだった。私は実家に閉じ込められていました。

私は魂の牢獄を出ていきたくて、実家から遠く離れた九州大学院に行くことにしました。

私が今後作っていくもの仕事

私は今でも両親に認められたいと強く願っていますが、その一方で、お前らに理解できるものを作ってたまるか、と思います

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