大楠公(楠木正成)の評価は、その生涯と行動をどのように捉えるかによって大きく異なります。ご指摘のように、もう少しうまく立ち回ることができれば、異なる結果になったのではないか、と考える方もいらっしゃるでしょう。
大楠公は、後醍醐天皇への忠義を貫き、理想の政治を実現しようとしました。しかし、そのために選んだ道は、必ずしも現実的なものではなく、結果的に失敗に終わってしまった側面も否定できません。
大楠公は、剛毅な性格で知られており、一度決めたことは最後までやり遂げるという強い意志を持っていました。しかし、この性格が、柔軟な対応を難しくし、周囲との関係を悪化させた可能性も考えられます。
南北朝時代は、激しい内乱が続く混乱の時代でした。大楠公の行動は、このような時代背景の中で、最善を尽くしたものだったと言えるかもしれません。
確かに、大楠公がもう少し柔軟な姿勢で、周囲との関係を円滑に進めることができれば、事態は変わっていたかもしれません。しかし、大楠公の行動は、その時代の価値観や状況の中で、最善を尽くした結果だったとも考えられます。
足利尊氏との関係は、大楠公の生涯において非常に重要な要素でした。もし、両者が協力関係を築けていれば、天下は統一されたかもしれません。
建武の新政は、短期間で崩壊してしまいましたが、もし大楠公が生き残っていたら、新政はどのように展開したのでしょうか。
後醍醐天皇との関係も、大楠公の行動を左右する大きな要因でした。もし、後醍醐天皇の意向をもっと汲み取ることができていれば、事態は変わっていたかもしれません。
これらの「もし」という仮定は、歴史に「もし」はないという点で、あくまで一つの考え方です。
大楠公の評価は、人それぞれです。歴史上の人物を評価する際には、その人物の置かれた状況や、当時の価値観などを考慮することが重要です。大楠公の行動を単純に「良かった」とか「悪かった」と一概に断定することはできません。