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2025-01-24

天皇はなぜ滅びなかったか

権力がなかった

王はたいてい権威権力を兼ね備えている。権威とは「みんながその地位をなんとなく尊重している」というカリスマみたいなもののこと。権力とは「みんなに言うことを聞かせることができる」という実効性、つまり行政力や軍事力のことである権力を振るっても権威があるなら周囲を納得させられる、権威を何とも思わない奴がいても権力があれば従わせられる、と補完しあっているわけだ。

日本天皇場合、わりと早々に権力を失い、権威だけの存在になってしまった。この「権威はあるが権力はない」という状態は、意外にしぶとくて潰されにくい。権力は奪い取れても、権威は奪い取れないからだろう。天皇を殺したところで自分天皇になれるわけではない。それなら生かして権威だけを利用したほうがいい。この状態を明示的に制度化したもの現在イギリス日本のような立憲君主制だとも言える。

終身ではなかった

世界的には王は終身制であることが多い。「神から授かった王権を人による判断で捨ててはならない(死は神による判断からOK)」といった考えらしいが、一方で、日本では平然と譲位が行われていた。

時の権力者が、自分の気に食わない天皇を辞めさせたいときに、殺す必要がなく譲位させるだけでよかったのは、かなり大きい要素だと思う。承久の乱元弘の乱など、天皇方が反乱を起こしたことは数少ないながらもあったが、それに失敗しても「反乱を起こした天皇を退位させて新しく天皇を立てればいい」で済んだのは、天皇が終身制ではなかったからだろう。

分裂が少なかった

王族同士の争いは、その末に一人の強力な王が誕生すればいいが、そうでない場合共倒れになるものである壬申の乱では強力な天皇誕生したが、保元の乱南北朝の動乱では、戦いの主役となった武士権力を奪われ、天皇権威までも著しく低下することとなった。

とはいえ、長い歴史を振り返れば、おおむね天皇は一人だけだったし、後継者争いが戦争にまで発展することも少なかった。下手なことをして自滅したりもせず、よく権威保全したと言えるのではないか

外敵が少なかった

王が倒される状況として「王の権威を何とも思わない人間が王をしのぐ権力を持っていたとき」というものがある。その代表例は外国人異民族だろう。つまり隣国に攻め込まれて滅ぼされる、異民族流入して乗っ取られる、といったパターンである

日本にはそうした外敵がほとんどいなかった。もちろん、もし元寇ときに負けていたら、天皇制など消え去っていただろう。太平洋戦争敗戦はかなりギリギリだったと思うが、なんとか天皇制を維持することができた。運良くと言うべきか、何か一つ違えば天皇制がなくなっていた可能性は多いにあったと思う。

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