手元に、いつでも楽に死ねる薬を持つのは、一つの安心だった。多分、太宰や芥川が求めたのは苦痛の軽減ではなくて、この安心だったのだ。いつでも死ねる。死んでよい。究極の自己決定権。自らの身体の隅から隅までの圧倒的な支配権を持っていること。それは一つの安心だ。皆、己に不意に訪れる苦痛に向かって、こういうに違いない。「いつ来るとも分からぬ苦痛よ、お前はいつだってこの薬の前に、なす術も無く消え失せるのだ。ざまあみやがれ」
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