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2025-01-15

クソを漏らした話

出来事

昨日、オフィスから家に帰る地下鉄の中で急激に腹が痛くなった。「もうダメかも知れない」などと考えながら、エレベーターで改札階に上がったら運良く多目的トイレあいていた。急いで個室に駆け込んで「なんてラッキーなんだ」と思いながらベルトを外しはじめた。それがいけなかった…

「勝った」という弛緩した気持ちベルトを外し始めた。私は腹が出ているのでサスペンダーを愛用している。前2つのクリップはすぐ外せたが後ろ側を外すのに手間取った。電車から降りた時点では存在していた「まさか漏らすのか?」という緊張感はトイレの前に立った時点ですでに消え去っていた。そしてサスペンダーが外れない焦りもあり、ケツの穴がクソを抑えきれなかった。

中途半端ズボンおろし状態脱糞がはじまった。ベチャベチャの泥みたいなブツ容赦なく下着ズボン便器・床に降り注いだ。出始めた一瞬の青ざめる感覚、そして出ている最中わずかなカタストロフィ。そして終わったあとにはずっしりとした失望感が残った。約10年ぶりのクソ漏らしだった。

教訓①

敗因は何だったのか?電車の中かエレベーターの中でサスペンダーを外しておけばこの事態は防げた。「今、自分ができることを最後の一瞬まで考え続ける」という自責の発想を失い、成功を運に任せてしまった弱い心が敗因だった。

出来事

あたりに飛び散ったクソを、床や便器にべったり手が触れない範囲トイレットペーパーを使って拭いた。パンツはサニタリーボックスに捨てた。問題はクソまみれのズボンだった。捨てたらフルチンになってしまうので、多目的トイレに設置されたオストメイト用の水道ズボン全体を水洗いした。不可触であるべきクソが手に触れることは避けられない。汚れた水滴も上半身に飛ぶ。そして当然フルチン作業するしかない。マジで泣きそうだった。石鹸で手を洗って、ハンカチでその手を拭ったら少しだけ気分が落ち着いた。

水洗いしたズボンから水滴がたれないように絞ったあと、やむなくそれを履いて駅を出た。近くにセカンドストリートがあるらしかったので替えのズボンを買うためにそこを目指して歩いたが、足をあげるたびに太ももが冷えたズボンに張り付き、痺れるくらい冷たかった。というかビリビリと痺れた。途中でファミマを見つけたのでパンツを買うために入ったら、なんと「ジョグパンツ」という名前ナイロン製のズボンが売っていた。店員に「うんこくせーな」と思われたくなかったのでセルフレジ会計してトイレで着替えた。水洗いしたズボンコンビニの袋に入れて持ち帰ることにした。

電車で帰ると他の乗客迷惑なので1時間くらい歩いて帰ることにしたが、その時、LUUPのキックボードが目に入った。「キックボードなら汚れたズボンサドル接触させずに乗れるから迷惑にならない」と思ってキックボードを借りた。実際にはもうズボンを履き替えてたので自転車レンタルしても良かったはずだが、完全に頭が混乱してたんだろうね。あとはLUUPで家に帰ってズボンを手桶であらった。これが顛末だった。

教訓②

最近社会正義に関連するある哲学書を読んだ。その本にこんな事が書いてあった。「健康で自立しているように見える人でもいつ他者からの手助け無しに生きられなくなるか分からない。人には潜在的に”脆弱性”を抱えているのである。自立しているかどうかは、その脆弱性が潜在しているか顕在化しているかの違いに過ぎない。しかも、その脆弱性や、それが顕在化した時の”弱さ”は、普遍的ものではなく人それぞれ違った固有の物でもある。だから、人それぞれの弱さやニーズ気づき、それを手助けしていくことは、”慈愛”などというベストエフォートものではなく、社会の”責任”なのである。なぜなら、私達全員が脆弱性を抱え、幼児や老人という形でその脆弱性を全員が顕在化させる宿命にあるのだから。弱さに対する手助けは社会を支える根本なのである。」といった事が書いてあった。

弱さとニーズ固有性について

もしクソを漏らしたのが多目的トイレではなく普通の個室だったらどうなっていたか。フルチンで手洗い場でズボンを洗う羽目になっていたのである多目的トイレオストメイト水道はクソを漏らした人に対する手助けを目的に設置されたものではない。ただ、クソの付いたズボンを洗いたいという私の”固有”のニーズがこの水道に救われた。また、ハンカチで手を拭ったところで全身に汚い水滴が飛んだ私にとって衛生面での意味はなかっただろう。ただ、清潔なハンカチで手を拭う行為気持ちは救われた。これも私のその時の心境における”固有”のニーズである。なぜかコンビニで売ってるズボン店員と話さずに済むセルフレジ・ケツを付けずに乗れるキックボード、これらは別に私のニーズを満たすために用意されたものではないが、たまたま、すべてが私の”固有”のニーズを満たしてくれた。それにどれだけ救われたことか…。人には固有の弱さとニーズがある。これを実感した。

誰しもが脆弱性を抱えているということについて

そして、私は地下鉄に乗った時点ではクソを漏らす可能性なんて毛ほども考えてなかった。しかし1時間後にはクソまみれのズボンを泣きそうになりながらフルチンで洗っていたのである脆弱性は確かに誰にでも顕在化しうるのだ。あなたにも。

これから人生について

「人に手を差し伸べることは慈愛ではなく責任」この言葉を胸にこれから人生を生きていこうと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 19:33

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