「楽しくなければテレビじゃない」ではないが、1990年代には「女とやれなきゃ人間じゃない」という風潮が確実に存在していた。松本人志や中居正広には、あの時代の雰囲気の名残を感じる。
1990年代当時の松本人志の新しさはいろいろあったが、一つには自分の品の悪い「女遊び」をテレビで語って、それを笑いにしたことである。本当かテレビの演出かはともかく、観覧している女子たちは松本の女遊びトークにドン引きするのではなく、積極的に受け入れて笑っていた。逆に、童貞男子がバラされた瞬間などは、「ええぇぇー!!」という悲鳴が上がっていた。ジャニーズのアイドルですら、「セックスぐらいしてますよ」と語らなけれいけない時代だった。そうした時代の中で、「百人斬り」をアピールするロンドンブーツ・淳が、当時の若者の間で絶大な人気者になっていった。
こうした「女とやれなきゃ人間ではない」という価値観は、現在では女性差別とミソジニー、性加害に直結するものとして否定されている。しかし1990年代においては完全な「正統思想」だった。童貞男子は、男子の間からは徹底的に見下され、女子からは「やばいキモい」と全力で避けられた。当時の男子が最も恐れていたこの一つは、童貞であることがカミングアウトされることだった。
平成の後期になって、かしこいロンブー淳は、「女とやれなきゃ人間ではない」という価値観が古くなった時代の空気を敏感に悟り、徐々にフェードアウトしていった(良識人ぶっている現在の姿は痛いが)。しかし松本と中居は、令和の時代になってもこの価値観を捨て去ることができず、しかも簡単に応じるであろうファンやギャルを相手にすればいいのに、それには全く興味がなくなり、「育ちのいい優等生女子」でないと興奮できなくなってしまった。「女とやれなきゃ人間ではない」時代の帝王だった彼らは、中年になって以降も帝王の座を死守し続けようとした結果、完全に有害なキモいおじさんになってしまったのである。
心情的に中居正広を自業自得と切り捨てられないのは、あの時代の空気をつくった人たちも少しは当事者意識を持って欲しいと思うからである。少なくとも1990年代、松本の女遊び語りを笑ったり、童貞男子に悲鳴をあげた人たちは、松本や中居の性加害の共犯者だと言いたい。
レイプもみ消し、犯罪は報じない、そんなテレビは誰に楽しいんですかね?
だからね、やはり同性婚を国は認めるべきなんですよ
ケツを掘られなきゃジャニーズじゃないが正しい 童貞煽りにキレられても…
ゆとりだけど草食系男子って言葉もありましたね 不同意性交罪ができた今どうなるのか?