一応元記事のURL
https://univ-journal.jp/250863/
日本人は困難や精神的苦痛を「社会規範や秩序を逸脱・違反した報い」として理解する
さて、これについて話す前に、何が共助を担保していたのか
家であり、隣組であり、村であり、会社であり
つまりはそういう集団なんだよね
当然に集団によって規範は微妙に異なる
だから昔は息苦しかった
結婚しないと人権がなかった
会社は一生を決めるものだった
離婚や転職への負の圧は強かった
その代わり「困った時はお互い様」となれた
記事では
共感的関心や他者の利他行動への期待が低く
と続くが、それはそうだろう
親の介護なんてしねぇよ
結婚なんてくだらねぇ
町内会?しらねぇよ
会社はスキルの肥やし、転職して当然でしょ
となった社会で、それらに泣きつくのは端的にダサい
自罰的にこうなっているんじゃない
自意識が高すぎて集団に擦り寄って頭下げるってのが出来ない
(今更集団に加われない)
本当に巧くやる奴は
共産党を使って生活保護を手に入れてのうのうと生きるとか
宗教に紛れ込んで適当に旨く立ち回ろうとするが
それもできない
半端なんだよ
県人会とかが何であったのか
協同組合などの組織が当時必要とされたのはなぜか
自身の利他行為をコスパ悪いと切り捨てる奴は
そりゃ、他者の利他行為を期待しない
こういうのはコインの裏表なの
「特有の文化背景」じゃねぇよ
情けは人の為ならずが反転してるだけの状態
まさに自業自得で自縄自縛
Permalink |記事への反応(0) | 14:44
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