社会的な支配力が強い思想ほど、むしろ無自覚に自明視されるが故に存在感は薄い訳で。
日本において「いただきます」を言うありふれた光景に対して「思想強!」なんて言ったら変な奴だし。逆に外人が見た時に「神への感謝じゃなくて生き物への敬意?変わってんね〜」なんて思ったら、それは自分たちにとって主流ではないからこその違和感で、それこそ「思想強いな」と思われるかもしれない。
生産手段の共有による資本家の否定を掲げたり、どこかの土地がどこかの国の領土であると断言するのを「思想強い」なんて言う人がインターネットにいるけど、そういうのもむしろ思想は弱いんじゃねえの?って思った。
強いだけじゃ何を以て強いとしてるのか不明瞭だし。
汚え字を敢えて達筆と呼ぶような感じの婉曲表現でもなさそうだし。
揶揄の意図であったり、少なからず面白おかしく取り上げようとするのは、それが社会的には非主流派のザコい思想であるが故にそうしたいのだろうし。なら「弱い」部分を強調しそうなのに。
強いのは「思想」の具体的な内容自体というよりも、社会的には非主流の考えをそれでも敢えて表明する姿勢や意志なのかもしれないな。
政治的社会的な主張でなければいくら自己主張が強くても思想が強いとは言われないし 自明視されてる社会通念との差分の大きさで強さ測定してるように思う
安倍晋三「チョーゼバ。イターキマス。」お箸クルンッ