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< 発達障碍当事者の自己... |anond:20240319204735 >

2024-03-19

「超」積極的安楽死

R.I.P. 迎田良子さん

安楽死」を考える スイス最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者報道特集

https://news.yahoo.co.jp/articles/8bb2d6cf595ffedc5bfdf45ad29546aca08b0474

というニュース話題になっている。 迎田良子さんというパーキンソン病の人が、スイス積極的安楽死したという話だ。

迎田良子さんは暴力家庭に生まれ高卒とともに家を出て、日本語講師として海外仕事をしていた有能な女性だ。ヨーロッパ各地を渡り歩いたという。しかし50代でパーキンソン病発症し、婚約していたフランス人男性にも捨てられた。 そして日本に戻り一人過ごしていたが、パーキンソン病からくる長年の苦しみから解放されるために安楽死を決意。スイスに渡って安らかに死んだ。婚約していた男性に看取ってくれるように連絡をつけていたらしいが、 直前になって拒否され、一人で死んだ。

遺骨はレマン湖に撒かれた。レマン湖男性デートした思い出の場所だったらしい。

おれはどうも、この社会で生きていくことが難しいようだ。 この社会で生きていくのはどうしても辛いから、 今ある少ない貯金が尽きたら自殺しようと思っている。実家に帰ってきたのは、心の整理をつけるためである。 親もおれがいきなり死んだら、心の整理がつかないだろう。 だからすでに、お金が尽きたら自殺するということは伝えてある。

しかしおれはこの社会で生きるのが辛くてそれから逃げたいだけであり、自殺の苦しみを味わいたいわけではない。 楽になるために苦しむということは嫌だ。 でも安楽死ならどうだろうか。 楽に死ねるだろう。 それがおれの望みだ。

費用は200万円程度らしい。 あとは、英語コミュニケーションがとれること。 幸い、今ならば200万円は工面出来る。英語問題ないだろう。安楽死するために英語勉強したわけではないが。

この人生は最悪だった。 思うに、おれは劣った人間との相性が最悪だ。相手コンプレックスを抱えていると、衝突することが多い。

ご存知のとおり、 おれの人生最後最後高専かい知的障害学歴クズ破壊された。 結果、おれはもうこの社会で生きていくことが不可能になり、 金が尽きたら自殺するほかなくなった。 この詳細は、おれが死ぬ前にでも書き残そうと思う。

結局このクズも、学歴コンプレックスの塊なのだ。 優秀なおれに出会ってしまたことでそのコンプレックスはより強くなり、 おれに対して粘着し、人生破壊してやろうと思うようになった。 そしてそれは成就された。おめでとう。

京大でもそのようなことがあった。 こいつは学歴コンプレックスではないが、自分容姿能力コンプレックスを抱えていた。 それ故に、そのどちらも優れていて、必死努力しているようには見えない おれが憎かったようだ。

おれは劣ってる人間に対しては無関心だ。 関わっても得がないとか、損得勘定問題ですらなく、 ひたすら興味がない。死んでほしいとも消えてほしいとも思わず、 ただ、見えなくなる。しかしこの無関心が、相手にとってはひどく傷つくらしい。 そして、それが相手の中の敵対心に火をつけるという仕組みのようだ。 めんどくさすぎる。 それは、そちらのせいでしょう。おれのせいではない。あなたが劣ってるから悪いんです。ギフテッドに生まれなかったあなたが悪いんです。 いちいち絡まないでほしい。

今後も、こういうことがいちいち起こるんだろうかと思うと もう耐えられない。 おれはもうこの社会で生きていく気を失ったと思う。

おれの夢は、知床で熊と一緒にコーヒーを飲みながら世間話をするような生活だ。人間から離れ、山の中でひっそりを暮らす。 そういう生活が叶わないならば、もう、生きる気はない。 ベーカムにも期待しているが、おそらく実現は遠く、間に合わないだろう。自然の中で熊と囲碁をしたかった。

おれのように社会適合出来ない人間安楽死出来るような社会になれば 多くの人が救われることは間違いない。しかし、安楽死には当然、慎重な議論必要である。 ある難病患者女性は、積極的安楽死が認められてしまうと その楽な死を選ばないことを自己責任転嫁されてしまうことを恐れている。 これは例えばだが、用意された楽な死を選ばないのだから生命維持装置費用は自費にしろとか、 そういう論調が生まれることもあり得るだろう。 確かに、それは恐ろしいことだ。難病になることは不運であるから、これは国が救うべきだ。

から必要なのは積極的安楽死を飛び越えた「超」積極的安楽死である。 超積極的というのは、難病であるとかそういう理由必要なく、 単に生きるのが辛いことを理由にして安楽死するということだ。 ようするに、今自殺によって実現されている死を薬による安楽死に置き換えるというものだ。試験での失敗を苦にして自殺するのもいいだろう。恋人に捨てられたか自殺もいい。 整形手術に失敗したか自殺もいい。 おれのように、社会に適合出来ないか自殺しますも当然許されるべきだ。 生と死には対称性がなければいけない。

大人は、「まだ若いから」とか「これからきっと良いことがあるから」とか言ってあなたを生かそうとするだろうけど、それはあなた自分の老後を支える駒として見ているからだ。

この国の現状は、今は辛くても頑張って生きていればいつかきっと良いことがあると 思えるような状況ではない。 だから、うまく行かなかったら即死ぬという選択肢がないと不公平だ。 また、失敗したら気軽に死ぬことが出来るからこそ、人間は現世において挑戦することが出来る。日本人のチャンレンジ精神が低いのは、高齢化社会による社会保険料の問題と、拳銃の所持が許されていないために自殺簡単でないことのせいだと思う。 そういう意味では、日本こそ、積極的安楽死必要な国だといえる。

積極的安楽死犯罪も減らすだろう。貧困になった人が誰しも強盗窃盗をしたいわけではない。 生きるために仕方なくやっている人もいるだろう。 でも超積極的安楽死があればそういう人たちも、他人迷惑をかけるより 死を選ぶのではないだろうか。

Permalink |記事への反応(1) | 20:50

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