広義をとれば指すことはある。
しかし「その人固有の性格、人間的特性」くらいの意味であれば、ヤンキーに憧れるとかサッカーを始めるだとかは偶有的属性であり、
それ以前の、アウトローに格好良さを見出したり、競技を通して自己実現しようと思ったりするところまでがそうだろう。
何で「明らかに」なの?
まず、自分ならば老女ものポルノをいくら見せられようがたまたま見てしまおうが、老女を性的に好むようになったりはしない。
他者の観察経験や各種の知見からも、もともと受け手に素地が無い性的欲求を植え付けることは出来ないと考えている。
が、それにあなたが同意しないのならばそこは尊重し「明らか」は撤回する。
しかしそこを措いても、「幼児を性的に意識するから、ロリ漫画を読む」のと外形的に区別は付き難いはずであり、ロリ漫画を読むことで幼児を性的に意識するようになると考える根拠の提出は必要だろう。
(それとも「ロリ漫画を読む奴は、幼児を性的に意識したりする」は影響の因果関係ではなく単なる事実の説明なのだろうか。そうとも読めるが、それならば影響の例として挙げること自体不適当だからそれはないか)
誰もそんな事言ってないんだけど、誰と戦ってるの?
前投稿の冒頭で言ったように、多くのオタクの言う「影響」は「犯罪が増える」といったメディア悪影響論に対する反論として出てきている、ごく狭義のもの。
そしてそういう文脈のなかに割って入ってきて「影響がある」と言ってのけることはつまり、「犯罪増加として顕在化するレベルの悪影響の存在」の肯定となる。(そういう「影響」はないよ、という立場を「いやあるだろ」と否定する以上はね)
もともとアウトローやら競技やらに親和的なやつが創作物の影響で、ヤンキーを好もうが清水次郎長を好もうがサッカーを始めようが野球を始めようが、その観点では「影響」はないと言っていい。(これはショートケーキかチーズケーキかに相当する話)
「その表現物が無ければ起こすはずのなかった逸脱」を起こさせるほどのものがここでいう「影響」であり、その要因となる「その表現物が無ければ起こらなかったはずの性向の変化」が「人格的影響」と呼ぶに値する、そう自分は考える。(これが「奪ってでも手に入れる」とか「甘いもの好かないやつがスイーツ好きに」に相当)
わかりにくいようですまんね。