結局セックスだよな
ど~~~~してもセックスしたいッッッ!!! っていう自分ではコントロール出来ない衝動のためにいろいろ細かい苦労して(よく出来たことに絶対克服不可能なハードルではない。普通に社会生活送ってれば)セックスする相手を作るわけなんだけど
面白いのは、この「ど~~~~してもセックスしたいッッッ!!!」っていう衝動は自分ではコントロール出来ないけど、社会的な慣習・教育・育て方でほぼ100%、割と細かい条件までコントロールできるんだよな。
例えば21世紀の日本にあっても「女の子は結婚するまでセックスしない」っていう育て方をする親はいるし、そうやって育てられると女の子自身が婚前交渉に忌避感をもつ、というか「そこまでしてセックスしたいとは思いませんし」という感じになる。必ずしも婚前交渉はしないということではないんだけど、している場合でもそれは「彼氏・周囲からのプレッシャー」「『やってるのが普通』というメディアからの情報」なんかが逆方向に条件付けした結果だったりする。「自分は特にしたいわけじゃないけど...」という感じで。その一方で一度結婚しちゃえば「夫の回数に不満」を持つほど自らがノリノリになったり。
社会的には割と若いうちから「性欲を持つこと」が肯定される男性の場合でも「誰に対して性欲を持つか」は社会的に細かく規定されていて、若く魅力的な女性相手でも服装・振る舞い・喋り方、またはそれらから連想される社会的階層や経済力が「自分とは住む世界が違う」と、性的にアプローチする気にならなかったりするのは普通にある。
もっと極端な例だと信濃伊那郡天竜村にかつてみられた「おじろく・おばさ」という特殊な社会制度の中では、性欲などそもそも最初から存在しない人間をつくることさえ可能だったようだ。(もっとも性を完全に封殺することは当然人格の形成に多大な影響があったようで、成長するにつれて人嫌い・無愛想になるのが普通だったらしい。)
結局どういうことかっていうと、人間の性欲は実際の行動はおろか当人の「自分には性欲がある」という認識さえ社会という他者(と自分)の集まりによって強力に規定されているってことで、性欲はおろかあらゆる性癖に寛容でオナニー環境が非常に充実してる一方で他人に話しかけることさえ事案になるような社会では、そもそも「恋人が欲しい」なんて気になるわけがない。しかも「正しい交際相手」の条件が仲間内ルールやメディアに細かく規定されてて、正しいセックス相手を見つける苦労のわりには実際のセックスが大してよくないとなると結果は推して知るべし。
「周りのみんなは持ってるし、アテクシもひとつ持っててもいいかしら?」ぐらいの気持ちなら、むしろないほーがいーんじゃねーの?わざわざ他人とそこまで深く関わるのもメンドクセーし。
どうしても誰かとセックスしたい気持ち持て余してるなら、「いいセックスするか?」基準で一本釣りだな。間口広く取って(年齢・職種・収入とかベッドに持ち込めないもので切らない)、2週間以内に若干名面接。1~3時間程度の面接2~3回やって採用でいいでしょ。セックスがよくなかったらそのときに切ればいいんだし。この程度のことがメンドクサイなら、まあそれは必要なかったってことだよ。
周りの友人に続々と恋人ができているのに、私は生まれてこの方20年、一度も恋人というものを知らずに生きてきた。 となると飲み会などで「恋人欲しいと思わないの?」って聞かれる...
結局セックスだよな ど~~~~してもセックスしたいッッッ!!! っていう自分ではコントロール出来ない衝動のためにいろいろ細かい苦労して(よく出来たことに絶対克服不可...
よく考えたら「年齢」はベッドに持ち込めるな。(ドヤァ
やめて...そうゆうのは本当に... ...おじさんはすぐ死んじゃうから... 本当にやめて...
結局はセックスという点は強く同意する。 私もデートとセックスができるかわいい女のパートナーがほしい。 これを恋人と呼ぶのならば、恋人がほしい。
はてなアノニマスで拾いました そう、あなたです みたいなコメントがいっぱい来るから気をつけろよ
恋人ってすごいよな 街では援助交際で〇万円払ってできるセックスを無償でやれるんだからな
興味のある 催し物 食べ物 美術館 稽古事などで 多くの人と 会話を楽しむことです anond:20180816224807
そのうち恋人が欲しくて堪らなくなるときがくるので、それまで待とう