0と1。人はよくどちらか1つを選ぶ。
どっちか選ばないといけないのかなって思う。2つ(両方)でいーじゃんって思う。
でも、今の世の中だとそれじゃ「個性がない」とか「変わってるね」とか、わけのワカラン事を言われる。(気がする)
個性が無いのに変わってるって、どうゆう意味なんだ?と考えるけど単純にその人と合わないだけで相手が優しく「ムーリー(SEGA)」って
言ってくれているのだろうね。
ま、とりあえず2つでいーじゃんって事は、考えてないんじゃなくってどっちも正しいと思うし、1つにしちゃうともったいないじゃんって事。
最近2★偉い人
自分が偉いって思ってる人は、何考えてるのかなーって思う。
どうしたのかなって思う。私はよく分からないけど、偉いのかな?
テロのニュースが多いです、最近。とても心が痛く悲しくなってくる。
未来に希望を持ってアタックするテロリストからしてみれば、私達異教徒は邪悪であり不幸の象徴なんだろうけどね。
たとえ、地球が2つになって別ればなれになっても、同じことは繰り返されるんだろうな。
テロ行為は認めないけど、テロ行為する人たちについても理解をしなければいけないのかなと思う。
あと、下らないニュースが多い気がするのは私だけでしょうかねえ、日本のニュースサイトは。
最近4★ネジが足りない。
私の机にモノがたくさん散らばって、片付けようとすると明らかにゴミ(ガムの包み紙)が残ってたりする。
ゴミを認識できないんだなって思うと、まあ困るけど二度目の処理で気づくからまだ可愛いなって思う。
まあ普通なら一回で気づくんだろうけどね。
ほんとこれ。
自分より経済的スペックが高い男にしか惚れられないと少女漫画脳すぎるし、
むしろ経済的な側面以外も見られるようになっている環境なのに。
こんなこというと、ヒモ男がーとか言う奴は、なんで結婚のことになると極論ばっかに走って
そんな馬鹿になるの?
そして男の方も、自分より収入が、学歴が高い女は自分のプライドがー、って
言う奴はほんと死んで欲しい。
糞みたいなプライドと一緒にほんとに死んで欲しい。
今朝、あるメールが届いていた。
そんなメールの冒頭を読んだだけで、そのメールをゴミ箱に捨てた。
俺はもうこの先一生を生きるのに十分な社会貢献度を稼いだ。働く必要はどこにもない。
それに、俺はもう働きたくはない。何故なら、俺の職業は『チャレンジド』だったからだ。
20xx年、日本の社会保障は破綻した。増え続ける社会保障費に対して財源を確保することが困難になり、抜本的な改革を求められた。その改革の結果が、社会貢献度制である。
社会貢献度制と聞くといったい何を指しているのかはよくわからないが、要約すると、命に価値をつける制度である。社会貢献度が高い人間にはその貢献度に応じて医療費扶助やベーシックインカムなどの社会保障を行うが、社会貢献度が低い人間にはそれらを行わない。
この制度の何より醜悪な点は、社会貢献度を計るのに、「投票」を導入した点にある。投票は国民の義務になった。投票対象は、すべての日本国籍を持つもの。
投票期間はひと月ごとに区切られ、一人が持つ票はひと月につき10票。この票を使い切らないと、使わなかった票の分だけ自分の社会貢献度が下がる。そして、投票結果に納税額(学生であれば学校の成績)をかけたものが社会貢献度になる。
この社会貢献度は積算され、例えば、人から認められつつ働いてきてある日ガンになり働けなくなった人には、今まで積算されてきた社会貢献度に応じて医療費扶助が受けられるようになっている。
しかしこの制度は当然、障害を持つ人など『社会的弱者』と呼ばれる人々に対して非常に厳しいものになっている。彼らは生き残り戦略として互いに票を入れ合うが、ただでさえ医療費が人より多くかかる彼らにとっては焼け石に水と言っていい。そして、彼らは自分の命にかかるコストを支払えずに死んでいく。
一方でこの制度は、豊かな早期リタイヤ者も生み出した。若い頃に社会貢献度を稼いでおけば、その後仕事をしなくてもベーシックインカムをはじめとした十分な社会保障を受けて生きていけるのだ。
俺は重度の身体障害者だ。同時に、早期リタイヤができるほど社会貢献度を稼いだ人間でもある。
俺の両親は障害を持つ俺が生まれた時にこう考えたという。この子を生かすにはアイドルにする他ない、と。
そうした考えを持った両親の元、俺は幼い頃から『障害を持っているけど頑張って生きている人』つまり、『チャレンジド』の役をテレビをはじめさまざまな舞台で演じることになった。
両親の考えは当たり、俺はこうして生きている。
だが、俺は俺の仕事が嫌だった。俺は俺にできる当たり前のことをやっているだけなのに、「そんな体なのにすごい!感動しました!」と賛辞が寄せられることも、いつまでたっても奇異な視線で見られることも、何もかもが嫌だった。
しかし、『チャレンジ』を止めるわけにはいかなかった。何もかもがお膳立てされた世界で、俺に振られた役割から外れることが怖かった。そして、両親の期待を裏切るのが怖かった。
そんな生活を続けて、この先一生を生きるのに十分な社会貢献度を稼いだ時、俺は躊躇なくリタイヤの道を選んだ。その時両親は、初めて俺に「すまなかった」と言ってくれた。
この奇妙な社会貢献制に今の俺は生かされている。だが、俺は社会の何に貢献したのだろう?社会の何が俺が生きることを許しているのだろう?
それを理解したくない。
なぜなら、俺の命と今日にも医療費を支払えずに死んでいく命と、両者には何の差もないはずだからだ。なのに、俺の方だけ生かしてくれる社会に巣食った何かがいる。
その正体は、間違いなく醜悪で、とんでもなく恐ろしいものだろう。
その正体を知った時、俺は自分の命を投げ出さずにいられるのか、自信がない。
30代、娘一人。3人家族。
娘は可愛い。
(ほとんど・・・というのは、二人目にトライするために2~3回事務的なセックスを試みたから)
もちろん、不倫もしていない。
産後3ヶ月ぐらい経ってから、以後時々妻に触れようとしただけで、
それが喜ばれていないことぐらい分かる。
娘が生まれる前は、まったく違った。
向こうから抱きついてきたり、イチャついたり・・・こうまで同じ人間が変わるとは。
こうなってしまっては、一人で、あるいは風俗店(年3~4回)で性欲を処理するしかない。
妻はそのことに気付いているのかどうか。
(もちろん、気付かれないように気を付けているのだが、気付かれていたとしてもおかしくはない)
相変わらず、妻は子作りの月1回のタイミングを見計らった事務的なセックス以外のセックスに興味はないようだ。
断られるのが、傷つくのが嫌で、もう私も誘うことはないだろう。
キスすら、抱き合うことすらない。
恐らく、妻もそれでホッとしているはずだ。
このまま、この状態が続くことで、お互い不倫無しで夫婦生活を全うできるのだろうか?
離婚して娘と離れるのが怖くて、自分は踏み出しはしないが、もし妻が不倫したら、自分はどうするのだろうか。
母親として、妻として、よくやってくれている方だろうと思う。
でも、このモヤモヤはどこへ向かうのだろう。
飲みで男と割り勘にすると男の方がよく飲み食いするから実質こっちが一部奢ったようなもんになるのに相手にその自覚が無いイラツク感じになるからな
http://anond.hatelabo.jp/20170611183038
これのつづき。今回も文字数制限にひっかかったので、分割します。
一方、インドの僧菩提、林邑(ベトナム中部)の仏哲、唐僧鑑真らの外国人も、遣唐使船に便乗して来朝し、インド・西域・東南アジアの文化を伝えた。
遣唐使船は日本人が唐へ往来するためだけではなく、外国人を日本に招くためにも使われていたのです。「遣唐使」「鑑真」というのは中学生レベルの用語です。しかし、この2つを結びつけて説明できる人は案外少ないんじゃないでしょうか?
ちなみに、山川の『日本史B用語集』によると、菩提僊那、仏哲という用語を載せている教科書は、唯一これだけみたいです。しかも桐原書店は彼らの業績を説明するための註を設けている徹底ぶりです。入試問題になったら難問だと思いますが、大切なのはこういう人名を丸暗記することじゃなくて、東大寺の大仏開眼供養会はインドやベトナム出身の僧侶たちも参加していた国際色のあるイベントだった、それは遣唐使船がもたらしてくれたものだということでしょう。
「日本がしばしば新羅を従属国として扱おうとしたため、両国の関係はしばしば緊張した。しかし、日本の遣唐使が唐において新羅人に助けられることもあった。」
これもこの教科書に独特の記述です。遣唐使が新羅人に助けられたというのは、円仁の著作『入唐求法巡礼行記』のことを念頭に置いているんでしょうか?
また、上掲の講談社『日本の歴史』シリーズから引用すると、次のような話もあります。
遣唐使の派遣が間遠になり、日本の船が唐まで行かないなか、それでも求法の念止みがたいとなれば、来航する新羅船を利用するしかない。そしてまた新羅の商人たちは、概して好意的に彼らを助けたのであった(坂上早魚『九世紀の日唐交通と新羅人』)。こうして入唐と研鑽を果たした天台・真言の平安仏教の旗手たちが、仏教の使命は鎮護国家にあるとする考えに則り、護国の修法による新羅調伏を担うことになったのは、実に皮肉なことであった。
このころ唐では、みずからを世界の中心とみなす中華思想が強まり、周辺の国々を夷狄として見下す考えが生まれていた。この考え方は日本にも影響をあたえ、朝廷は新羅や、朝廷に服属しない東北や九州南部の人びとを蝦夷や隼人とよんで夷狄として蔑視しはじめた。
朝廷が東北地方や九州南部に進出した経緯を説明する際、そこには中華思想の影響があったことを説明しています。それに絡めて新羅との関係にもちょこっと触れているので、先にとりあげた東大入試の問題を解くときのヒントになるでしょう。
もっとも、この点はやはり、山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B018)の方が優れています。私が先に引用した箇所のすぐうしろ([後略]とした部分)では、朝廷が「東北地方の蝦夷、九州南部の隼人を異民族(夷狄)として服従させ」たことを説明し、「律令国家が蛮夷を服属させる帝国であることを内外に示した」と結んでいるのです。
それに比べると、三省堂の教科書は、遣唐使と中華思想という2つのものを関連付けて理解することが不可能です。
実教出版にも「奈良時代に遣唐使は6度派遣され」たとありますが、東京出版は9世紀のことも記述していてグッド。
遣唐使は894年、菅原道真の建議で廃止されました。ですから、9世紀末まで遣唐使を派遣する制度は残っていたはずなんですが、8世紀と比べるとその回数がめちゃくちゃ減っていることが分かるでしょう。
理由は、日本がもはや唐から学ぶべき必要・意欲がなくなってきたこと、唐が政治的混乱に陥って衰退したことによる国威の低下、商船の往来が活発になったことで日本が唐に朝貢をしなくても舶来品を入手できるようになったこと、などです。
これがさっき桐原書店のところで述べた話にもつながっています。時代が9世紀(すでに平安時代)になっても、仏教では唐に確固たる先進性がありました。だから日本の僧侶たちは唐に留学することを熱望したのです。しかし朝廷は遣唐使の派遣に積極的ではなく、彼らは新羅商人の助力を得なければ、渡航が困難という状況だったのです。
[引用者注:702年の遣唐使派遣の再開について] その目的のなかには、「日本」という国号を認めさせることも含まれていたと考えられる。
東京書籍の教科書にだけある、この一文。「日本」がはじめて国際社会に登場したのがこの時点だったと言っているんです。
これ、すごいことを言っていますよ? 「日本」が太古の昔から存在したという皇国史観に対する強烈な一撃です。
ちなみに、このとき「天皇」は国際デビューしていません。倭国はなんとかして「日本」への国号変更を唐に認めさせることはできても、皇帝にあたる「天皇」という称号を用いて唐と対等外交をする力がなかったのです。唐では天皇のことを「日本国王主明楽美御徳」(日本国王スメラミコト)と呼んでいたようです。もしかしたら当時の日本の朝廷内では、「スメラミコトは唐の皇帝に臣従したが、天皇は臣従していないから日本国王ではなく、したがって日本は唐の朝貢国ではない」という回りくどい官僚的答弁があったかもしれませんが、その点は不明です。このような高度に政治的な問題は、国史編纂のときに巧妙な隠蔽がおこなわれるからです。(上掲の講談社「日本の歴史」シリーズや青木和夫著の中央公論社『日本の歴史3巻 奈良の都』を参照せよ)
さて、これは東京書籍にかぎらず、多くの教科書でそうなのですが、古代史において「天皇」「日本」という表記を用いるときには慎重になっている様子がうかがえます。例えば白村江の戦いでは、唐・新羅と戦った国が「日本」ではなく、「倭」「倭国」「朝廷」等の表記になっています。
なぜ教科書がこんな表記になっているかというと、「天皇」「日本」という称号・国号は、ある時期の特定の政治状況のもと、人為的に作られたものだからです。具体的には天武朝(673年~686年)のころ、大王とその国を神格化する目的で、初めてこれらの称号・国号の使用が開始されました。ですから、もし神と同一であるところのその「天皇」、その神のおさめる国である「日本」が、天武朝より遥か昔から存在していたかのように記述するならば、それは皇国史観に他なりません。
無論、教科書では便宜的に仁徳天皇、推古天皇というような表記が使われていますけど、古代史における「天皇」「日本」という表記の取り扱いについては一応注記が設けられていたりします。例えば『詳説日本史』は壬申の乱ののち、天武天皇が「強力な権力を手にし」て、「中央集権的国家体制の形成を進」めていく過程で、そのころに「大王にかわって「天皇」という称号が用いられる」ようになったと書いています。同社の参考書『詳説日本史研究』はそこがもっとクリティカルです。「大王から天皇へ」というコラムで、「天皇」という称号が天武朝に始まることの歴史学的な検証を載せ、唐の皇帝が一時「天皇」と称していたのを知った日本側が模倣したという説を紹介しています。
今レベル20で多分一番いい時期
初めのカジノで2、3時間粘ったらメタルキングの剣2本とキラーピアスが手に入ってしまった。
モンスターを仲間にしようとうろうろしているとすぐにレベルが上がる。
1匹目のモンスターぐらい確定で仲間になってほしい。
順当に考えれば、新キャラのデボラなんだが、あまり好みじゃない。
選ぶのが本当につらい。
頭じゃ分かっているが、話し合いの場って設けるのは事実上困難だわ。遺言を書かせるってのもとてもじゃないが言い出せない。
<http://news.livedoor.com/article/detail/13183882/>より、
「「BlackBerry」の最新モデルキーボードを搭載したのは失敗?」
"BlackBerry"は物理キーボードがあってなんぼじゃ!!!
「NEVERLAND」に行ってきました。
書き留めておきたい感情が渦巻いてるんだけど、見る人によってはデリケートに感じる話題なので、匿名でブログを書くことにしました。
とはいえ万が一わたしのことを知っている人が見たら一目瞭然なんだけどね…
文才もないし完全に自己満。
わたしがNEWSを好きになった時、NEWSは既に7人だった。
程なくNEWSは6人になり、同時に休止期間に入る。
ジャニオタになったばかりの中学生にとって、1年の休止期間は長すぎた。
一途に待ち続けることができなくて、気がついたらエイトを好きになっていた。いわゆる「カケモ」。
ようやくNEWSコンに行けたのは活休が明けてからさらに1年近く経った頃。
「Never Ending Wonderful Story」
現場に慣れてなかったわたしは、今では味わえないほどの緊張と興奮を抱いて、横浜アリーナにいた。
「手越と目が合った!」なんてはしゃいだり、横アリ魔の隙間に前日作ったシゲうちわが吸い込まれたり(笑)、
すごく楽しかったのを覚えている。
でも、バイトもしてない学生の身分で掛け持ちを続けていくのは難しくて、
サマタイ、weeeekくらいまではなんとなく追っていた気がするけど、ネバエン以来現場に行くことはなかった。
当時はもうNEWSに対する興味はかなり薄れていた。
なんとなく6人のNEWSがうまくいっていないことは知っていたので、
この話を知ったとき、驚きながらも「やっぱりな」と思った。
少なくとも錦戸くんに関しては、掛け持ちを続けられないレベルでエイトが売れ始めていたし、
山下くんがNEWSを離れたいと、いつか言い出すんじゃないかなと思っていたから。
時は流れ2017年。
わたしが久しぶりにNEWSコンに行く頃、奇しくも山下くんは12年ぶりに亀梨くんとユニットを組んでいる。
と同時に、亀P再結成ほどの話題がないと、世間の注目を浴びられない山下くんに、切なさを覚えている。現在進行形で。
そして本題のNEVERLAND。
アルバムは予習していったけど、それ以外は殆どが知らない曲だった。
weeeekの山下くん台詞「行きまーす、イエイ!」はなくなっていた。
どの曲が定番でどの曲がレア曲なのかすらわからなかったし、セトリについては何も言えないんだけど、
演出はとっても素敵だった。
「NEVERLAND」って、ちょっとディズニーっぽい雰囲気だなって思っていたけど、
フロート演出なんてほんとにディズニーのパレードを見ているみたいだった。
メンバー同士わちゃわちゃする姿も、
ああNEWSだなあって実感した。
だけど。
もう何年も前にエイトは通り越えた段階に、今もNEWSは立っている。
地方公演なんて、いまでも一日二公演こなしてるんだ。
エイトの公演は、ここ何年か良くも悪くも「上手」になったと思う。
多ステしているわけではないしあくまでわたしの感覚なんだけど、決められた内容をそつなくこなす感じ。
万人ウケするMCができるようにもなった。
「4+FAN」で小山が泣いていたり、「U R notalone」でまっすーが泣いていたり、
少し異様な雰囲気すら感じた。
手越がMCでぽろっと「SUMMARY」だとか「k.k.kity」だとか溢してて、
この人たちはずーっと過去に囚われながらもがいていくのかなあ、って思う。
誰が悪いとか、間違った決断だったとか、そういうことは言いたくないけど、
もしあのとき、4人にならずに済んでいたら
ということを、考えざるを得なかった。
今のNEWSはきっと、強い。
4人には「NEWS」を守り抜いてほしいと思う。
9人も8人も7人も6人も、そして4人も、
なかったことにしないで、でも過去に囚われないで、
新しい未来を作っていって欲しい。
なんだそうなのか、安心したぜっーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと。ZZZ 寝るわ。
じいちゃんが死んだ。90近くまで生きて、死ぬ時もぽっくりの大往生で、ここまでは良かった。
大変だったのはそこから。火種なんて全く見えなかった我が一族にも相続問題が勃発した。
長男夫婦は、「長男として家を継いで欲しいと、昔からずっと父から言われていた。」と主張し、次男夫婦は「長男夫婦はたまに来てご飯を食べたり掃除したりするだけで、毎日世話をしてたのは近くに住んでいた私たち。それに実は死ぬ少し前に父から『やっぱり家はお前に頼む』と言われていた」と主張している。
それに対し長男夫婦は「そんな話は聞いてないし、そんな話があれば父が自分たちに言わない筈がない。次男夫婦は嘘つきだ。」と(心の中で)反論。(弱いww)
大した家柄じゃないので、家を継ぐ継がないっていうのはどうでもいいっていうのは分かりきってて、要は遺産の話。
じいちゃん普通のリーマンだったけど、先祖から継いだ土地が少しあるのと預貯金が数千万ある。(本当老人は金持ちでいいよね。じいちゃん戦争に行ってたし、公務員だったから年金40万近く貰ってた。)
まだ預貯金と、家以外の土地をどうするかの話し合いはしてないみたいだけど、葬式の喪主は押し切って次男が務めたし、じいちゃんの家も次男夫婦が継ぐことで確定してるみたい。
このまま行くときっと預貯金も次男夫婦が多くを持っていきそうな感じ。
結構すげーな、と思ったのがじいちゃんの葬式も長男が受取人になってたじいちゃんの生命保険金で挙げた
んだって。次男は「父にやっぱりこれはお前にやるって言われたからこれを使わせて貰う」って言ってたけど、それは流石に嘘っぽいかな。
自分としては自分が貰える訳でもないからあんまお金の行き先に興味もないし、兄弟で何やってんだよくだらねーなと思うけど、一つ言えるのはこんなんで兄弟の縁切れたらじいちゃんまじ悲しいだろうなー。草葉の陰で泣いちゃうよ、じいちゃん。
なんかこれを契機に出るわ出るわお互いの愚痴って感じでそれを聞くのも結構エグい。自分は長男夫婦の子供なんだけど、叔父さんも叔母さんもすっごくお世話になったし、大好きだし、いい思い出しかなかったから。
従兄弟の結婚とか将来お祝いしたかったけどなー。もうなんか笑顔で一同会することはないかもなって感がムンムン。
「近くに住んでて、どれだけ金持ってるかを肌で感じてたら人間何でもするかもね」って言ったのはまた別の親戚の人。「えっ、次男夫婦が金目当てでじいちゃんに良くしてたって言いたいの?」って聞いたら「悲しいけどね」って言ってた。
そんなことー、切なすぎるー、知りたくなかったー。
「じいちゃん、遺言書書いとけば?」って一言じいちゃんにやっとけばよかったな。
はてなーのみなさん、一回ちゃんと話し合いの場を設けとくといいよ!本当に。うちだってすっごくすっごく(表面上は)ずっと仲良し一家で、まさかうちが!ですよー!