元増田が好みそうな答えとしては「ぶっこわれてしまった日常」であることを再確認するための作品の数々。ということにでもなろうか。
いつも「絶望した!」と叫んでいる「学校の先生」とか、立川で日常生活を営んでいる「イエス・キリスト」と「シッタルダ」とか、最近の作者が、いったい、自分の「何」を暗喩しているのか、理解に苦しむ設定や展開が多いけれど。
少なくとも表面上は「いつもネガティブなことを言っても、シカトされない世界が欲しい」とか、「偉人をまったくそぐわない環境に置いたら、どんなことが起こるか」といった、実験みたいなもんだ。