「想像を絶する」って言うってことは、自分たちは義理云々の前に想像する能力がなかった、ってことじゃん。
マスコミが社会の公器を自負するんだったら、被害が出てから危険性を喧伝したり、想定外という東電を責めるっていう後出しジャンケンをしたりすべきではないよね。
もしくは社会の公器として原発の津波に対する脆弱性を本当に危険だと思うんなら、想像・想定する能力を付けて、地震が起こる前に報道すべきだったんじゃないの?
自分たちがその能力を身につけてこようとしなかったクセに、事故が起きてから「能力がない」と責めることが筋違いだと思う。
ま、自分達の低レベルな情報収集・解釈・解析能力を棚に上げて、東電やマスコミを責める活動家・労働組合はもっとクズ。
とある反原発派が、女川が避難所になったことも知ってか知らずか「女川も危険な状態に陥っていたはずだ!データをだせ!」と騒いでるようだが、そんなに女川に関する情報が信じられないんなら、女川は行けるんだから自分で女川まで行って情報集めりゃいいのに。
http://anond.hatelabo.jp/20110509151957
どうして張り付いていられるのだろうか・・・
ボニョの直前にどこかで津波って発生してたっけ?
あくまで二村ヒトシの本の中での概念なので、と前置きするけれど、
彼は「自分のことを好き」という感覚を二つにわけて説明していて、
・1つは自己肯定:そのままの自分でも生きていける、という感覚
向上心のもとになるナルシシズムを持つこと自体が問題なのではなくて、自己肯定のないナルシシズムが問題だと。
元マスダです。
そうなんですよね。
思いたくないんだけど。
どう考えても、法治国家的でも民主主義的でもないやり口だからねぇ。
http://anond.hatelabo.jp/20110508220817
http://anond.hatelabo.jp/20110508211402
http://anond.hatelabo.jp/20110508211038
あと、情報-SE系なら、東証での誤発注事故の責任は東証?証券会社?ベンダ?議論なんかも。)
・所有者・使用者側の問題なのか、
・製造者・設計者側の問題なのか、
によって、追求する矛先や程度は変わってくると思います。
その辺がクリアにならないまま東電だけが徹底的に叩かれてることに疑問を感じつつ、いつ自分の会社がそうなるかに恐々としています。
「デマだと知っていたのなら、何故教えてくれなかったんだ!」と、そのデマに乗っかって騒いでた人から。
その人はそのデマを真に受けて大騒ぎした挙げ句、別の場所で自慢げに披露して赤っ恥を掻いたらしい。
箸が入ってるかどうかを店員に確かめられないなら「あ、割り箸もう一本お願いします」と頼めばいいと思うよ。
それを続けてたら割り箸が溜まってくるかもしれないけど、その時は割り箸入れ忘れをスルーして溜まった割り箸を使うようにすればいい。
中部電力は首相の要請をまずは断ると思うよ(というより断って欲しい)
正式な法的根拠のある命令を求めるはず。
首相が思いつきでポッと出した言葉で、はいわかりましたとなるわけないじゃん
どうせ不人気首相なんだし
法的な根拠のある命令書があれば、粛々と止めるさ
それが法治国家というものだ
つまり、車で例えれば、
ときどき、点検のため整備する。タイヤを交換したり、オイルを交換したり。
こんな例えじゃね。
誰が悪いわけでもない
交通事故さえなければ、よかったのに。
エンジンもさらに強化されたエンジン付の車を購入すればよかったのかもしれないが、トヨタは出さなかった。
そういうこと
まったりくらしたいだけなのに、色々あって起業するはめになった。
いやさぁ、前の会社の社長が「社員を大事にする~」みたいなこと言ってたけどのったんだけど、
どうみても、食いつぶしているようにしかみえなかったんだよね。
はぁ、本当は、正社員としてダラダラ生きていたかったんだけど、のれんはなぁ。