“弱さ”という言葉は極めて主観的に用いられやすく、当人それぞれの解釈を喚起する。
明確な意味が定まっていないためだろう。どういう性質を弱さと捉えるか、結構意見が分かれるところである。この言葉が不愉快であったりするのは、例えば「弱さを認められない」という用法があるが、これ自己陶酔的で、勝手に”弱さ”の意味を定義し、その基準で内心が読めないはずの他人を一方的に弱い人間と裁いたり、「自分は過去において弱かった。それは認めるけど今は乗り越えたよー」などという独りよがりなことをわめいている人がいたりする。不快である。
Permalink |記事への反応(2) | 23:17
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