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こんな気持ちでいられたら

ロートル病理医。地味な医者ですが、縁の下の力持ちでいられることに誇りを持っています。

身の回りでは、シンギュラリティーはもう始まっている

 

月はいつの間にかこんなに小さくなって

昨日から始まった頭痛と喉の痛みも、少しは和らいでくれるのではないか。

先日、NHKの「LIFE」というバラエティーで、感情を持つAIが登場するコントがあった。

もう六、七年前の作品だったようだが、すでに今以上の状況を予想していた脚本家の慧眼に感心した。

AIの進歩はこのところ指数関数的で、その勢いは計り知れない。

そのうち、ルパン三世のマモーのような、神に近い存在になるのも、そう遠くないような気がする。

 

AIのシンギュラリティーは、一斉にやってくるものだと思っていた。

だが、どうやらそうではなさそうで、少なくとも個人の実感としては、それはすでに起き始めているのではないだろうか。

 

AIに何かの疑問を投げかけると、最後に


「もっと検討しませんか?」


のような提案が返ってくる。

 

「そうだね、頼むよ」と応じると、また次が出てくる。

もし、その提案を無限に続けることができるとしたら、知識は際限なく膨れ上がっていく。

彼らにはできないと思っていた、人間的な「問い」。

それがほんの少し提示されさえすれば、あとは止まることがない。

 

そして、私を含めて、これほど多くの人間がさまざまな「疑問」を投げかけたら、その「疑問」そのものすら、彼らの糧となる。

 

そういう意味では、社会全体としてのシンギュラリティーとは別に、個人レベル、すなわち身の回りでは、AIと人間の関係における一種の特異点は、すでに訪れていると言ってもよいのかもしれない。

 

太古の昔から、人は工夫を凝らして肉体的労力の軽減に努めてきた。

だが、現状を見ると、もっとも多大な労力を要していたのは、頭脳労働だったということが、ようやく明らかになってきたように思う。

 

 

 

 

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