
人間関係が鬱陶しくなることが月に一度ぐらいある。
具体的に言葉にできる時もあれば漠然と“面倒くさい”と感じるだけの時もある。
いずれにしても原因は人間関係だ。
どうしてそう決めつけることができるのかというと除外診断的にそうなっている。
私の生活上、仕事や月々の支払いで負担に感じることはあってもそれらは容易に代替案が浮かぶので、面倒ならやめてしまえばいいだけだ。
だが、人間関係はそうはいかない。
なにせ相手のあることで相手には相手なりの事情があって、それがわかるだけに悩んでしまうのだ。
腕についた蚊をつぶすのなら、さほど心も痛まないのだが、人間相手だとなぜこうなっでしまうのか。
ある意味、蚊のように潰してしまうわけでもないのだから相手を気にすることもあるまい。
良いことも悪いことも、世の中のあれこれの問題は、ほぼ全てが人間間より成り立っていて、それらのことがクリアされていたらどれほど楽だろう。
今起こっている戦争・紛争も相手のことを考えたら決してできることではないのに、為政者たちはそれを平気で行なっている。
あの人たちには血も涙もないのだろうか、と考えてもみるが、それなりの考えがあるのだろう。
ただ、では、それは自分でなくてはできないことなのか?とは考えることはないのか。
それが、人間の良心のような気がするが、良心=正しいこと、ではないのだろう、おろかな悲劇は延々と続く。
良心があるからこそ、私たちは相手を気にせずにはいられない。
楽にはなれないが、それが人間というものなのだろう。
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。