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こんな気持ちでいられたら

ロートル病理医。地味な医者ですが、縁の下の力持ちでいられることに誇りを持っています。

人類は技術革新にどこまでついていくことができるのか・・・下/結局は自分自身


昨日からの続き)
こういうテーマは次から次へと話がとんで、オープンエンドとなって私にはこれをまとめる力はない。
話のキリがないというわけではないが、人類の営みがそんなものなのだから仕方ない、今日で一応切りをつけたい。

昨日、一昨日、Suicaスマホ量子コンピュータとチャットGPTと考えてきて、では、最後に考えなくてはいけないことはなんだろうか。
相対性理論が核爆弾の開発につながり、湯川博士、朝永博士らの物理学が今や量子コンピューターにつながっているらしいが、物理音痴の私にはあまりよくわからない。
子供の頃、ノーベル賞は知っていたが、理論物理学なんていうものが実生活に浸透するようになるなど考えたことはなかった。
だがこの歳になって、学校教育の大切さがよくわかる。
算数・数学、国語をよく勉強し、論理的思考とそれを応用した言語化能力をしっかり養成する。
さらに、国家、世界に役立つ人間になるために社会、理科を勉強して世の中の仕組み、自然現象を理解するようにならなくてはならないということがわかる。
それでも、一般的教養の持ち主が先端の技術革新についていくのは難しい。

私の実生活では、短い人生の何割かに当たる時間を費やしてまで少なからず不愉快な思いをしながら通勤電車に揺られ、職場では理解しようのない人に囲まれながら仕事を続けているが、そういう点では自分が技術革新の恩恵に浴しているということをあまり感じないのだ。
それはSuicaにしてもスマホにしても便利なツールだが、これらがなくても”やっていけていた”頃を覚えている人間としては、なくてもいいんじゃないか、考えてしまうからではないか。

便利になった社会に生活しているはずなのに、人間生活の苦労は一向に軽減されていない。
AIは人間関係の悩みに対してコメントを与えてくれはするが、それを解決に導いてはくれない。
あくまでも自助努力が必要で、AIは代わりをしてはくれない。

そうすると、技術革新とは人間の営みを本質的に解決してくれるものではなく、自助努力を忘れさせてしまうなどということを考えると、ある意味不必要なものかもしれない。

そもそも、人類はなんのために進歩を目指しているのか。
それは当初命を生き存えさせるためだったのだろうが、地上最強の存在となった今でも、それを継続させているのは、もはや人間同士の生存競争のためにほかならず、それはどの程度必要なことなのか、私には落としどころを明示することはできない。
このテーマ終わり
結局自分の頭で考える

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