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こんな気持ちでいられたら

ロートル病理医。地味な医者ですが、縁の下の力持ちでいられることに誇りを持っています。

悩みなんて、心のゴミだから

どれほど物事がうまく運んでいる時でも、嫌なことがふと頭をよぎることがある。他人から見たら杞憂と言われてしまいそうなことまであれこれ思いというのは生じるものだ。

プラス思考の人だったりしたら、そんなことが頭をよぎってもすぐに考え方を変えることができるのだろうけど、私にはそれがなかなか上手にできない。

 

それにしても、嫌な思いというのは次から次へと呆れるほど湧いてくる。深刻なものから、軽いものまで取り混ぜて出てくるのでどう整理したらいいのかわからなくなる。この前、テレビで”ゴミ屋敷”の話が出ていたけど、こういう”嫌なこと”というのは、”心のゴミ”なのかもしれない。

飲み終わった薬の袋のようなものから、捨てるに捨てられない靴、もう使わなくなった脚立。大小取り混ぜて色々なものがあるが、心のゴミも同じようなものなのではないか。そして、現実のゴミの一部は実際に私の心のゴミとなって、いつのまにか心の一部を占めるようになる。

その、ゴミ屋敷の住人さんも、最初は台所でとどまっていたゴミがやがて外へと溢れ出て、風呂場へと行き、最後には寝室まで侵食し、その家には住むことができなくなってしまったという。整理がなかなかできない人、モノを捨てることが下手な人というのはいるものだ。私も人のことは言えない。そして、心のゴミも行き場を失ったら同じようなことになる。

実際のゴミは人に頼めば物理的に捨ててしまってくれるけど、心のゴミは捨てにくい。私は心のゴミを捨てるのも上手くない。

悩みといえば、人間関係、過去のしがらみ、現在もめていること。そのほかにも、社会情勢、環境問題、政治腐敗からひいきのスポーツチームの成績、芸能だののゴシップ。人の悩みなんて、十人十色、挙げはじめたらキリがない。でも、それが嫌だからといって人から逃げ出すことはできない。その時々に、対応することは必要だ。全てから逃げ回ることなんてとてもできない。そもそも、人間何かをするときは、自分のために何かをするのだ。今ある自分の存在を否定することもできない。

でも、終わったら、心を切り替えてみようと思う。

心を切り替えたら、それまであったことはすっかり忘れよう。いつまで引きずっても、それは心のゴミにしかならない。

今ある嫌なことも、きっちり原因を突き止めて、心のあるべきところに、目に見える棚のようなところにしまい、いつでも捨てることができるようにしよう。

家と同じで、心にもキャパシティーがある。心はいい思い出だけで満たし、心をゴミ屋敷にしないために、心のゴミはしっかり捨てよう。

心も断捨離

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