読者の皆さん、あけましておめでとうございます。
今年も無理しない程度にぼちぼちブログを更新していく予定です。新年からシリアスな話題を書きたくないので、今日は「寛解」の話にしました。思いつくまま書いていくので、ややまとまりないかもしれません。
医学分野で寛解という用語は、わりあい精神科で使われていて、他の科ではあまり使用されないと思っていた。例えば精神科では、統合失調症に罹患していて治療が順調で、高度なレベルで就労できているような人は「寛解している」という評価をされる。この場合、たいていのケース、ほとんど99%以上、抗精神病薬を服薬している。統合失調症の場合、治癒という用語は使用されず寛解といわれる。
もし服薬せず長い期間(少なくとも5年以上)、再発もせず、平均的な会社員と同じレベルの仕事ができていたとしたら、「統合失調症だったかどうか怪しい」と、診断が間違っていたという解釈になりやすい。つまり、その人はもともと統合失調症ではなかったのである。
近年、とはいえここ20年くらいだが、いったん「統合失調症」の診断がつき、その後、本人が通院と服薬を中止して、ほぼ健康な人と同様な生活、仕事ができているケースもみられるようになった。これはベースが例えば発達障害ないしグレーゾーンで、一時的に「統合失調症」類似の破綻が見られ、操作的に「統合失調症」と診断されたためである。このケースは将来的に服薬が不要になる経過もありうる。ここで言う操作的という意味だが、ICDやDSMの診断基準を満たしていたことを言っている。
発達障害をベースに不安障害、うつ状態、双極性障害、あるいは統合失調症に似た病型を呈する場合、発達障害の程度が軽ければ軽いほど、このような病態が重く見えることは重要だと思う。つまりこのような視点では、グレーゾーンは決して軽くはないのである。
重い発達障害の人は人生の早期に、一般的な子供のような成育にならないため(施設に入るなど)、かえって旧来の精神疾患を呈するチャンスが減少する。平均的な学校教育や社会に出る機会がないからである。
発達障害が絡む精神疾患は、基本、発達障害が軽い人あるいはグレーゾーン(高校大学まで特に問題なく卒業できたようなレベル)の人の方が、社会に出てストレスにさらされ重いレベルの精神疾患(特に精神病レベル)に罹患する経過が多い。
現代的には、元々、発達障害だったとしても若い年代で一時、統合失調症と区別がつかない幻覚妄想や情意の減弱を呈し、服薬していても長期的に情意の減弱が明確であれば、統合失調症の診断で問題ないと思う。これは個々の障害や精神疾患のボリュームの問題で、先に指摘したように、発達障害が軽ければ軽いほど、これらの精神病のリスクが大きくなるのなら、理論的にも辻褄は合う。それでもなお、いったん発達障害が明確(3歳児検診で既に指摘されていたなど)な人は、精神病的破綻をしても経過に違和感があるのは確かである。
発達障害+統合失調症の診断の人は「服薬が必要かどうか」は重要だと思う。薬を減薬したり中止したときに必ず幻覚妄想が惹起する人は、診断は「統合失調症」で良いと思われる。実はこの考え方には個人的に不満もあるのだが、ほとんどの精神科医はそう考えていると思うので、それに沿っている。
一応、今日のタイトルは、この辺りまでが前置きである。
ここ数年で他科にも高度な寛解という用語が使われていることを知った。例えば、白血病で服薬はしているが、健康な人と変わらない状態に至った人は「高度な寛解」と呼ばれる。興味深いのは、精神科では「高度な寛解」という評価はほとんどされないことだと思う。驚いたのは、このような人を入院させていて、新型コロナクラスター時に新型コロナに罹患し、中核病院の血液内科主治医にどのように対処したら良いのか問い合わせたところ、普通の人と同じ対応で問題ないと言われたことである。
白血病は病型にもよると思うが、服薬することで、ここまでの寛解が実現できることは実に素晴らしいことである。今の時代なら、夏目雅子も亡くなることはなかったであろう。
精神科の「寛解」という用語は、神経症やうつ病では使われず、もっぱら「統合失調症」の病状の評価として使われる。双極性障害でも「寛解」を使ってもよいと思うが、経過が独特なので使われないことが多い。少なくとも僕は使ったことがない。統合失調症での寛解という評価は幅が広く、精神科医においてもかなり差がある印象である。
僕は統合失調症で服薬していて、発症前の仕事(例えば銀行員、接客が多い営業職)に就けなくなっても、他のもう少しストレスが少ない通常業務を休むことなく続けられているレベルまで寛解としている。もしA型事業所までしかできない病状であれば、寛解と言うには厳しいという評価である。たまにA型ないしB型事業所すら無理で、自宅で引きこもっていて、再入院がないだけで寛解という精神科医もいるが、これは寛解の範囲が広すぎると思う。
実は、この僕の寛解の解釈は範囲が広すぎるという指摘を受けたことがある。指摘した精神科医は僕の先輩にあたるが、彼によると、統合失調症には「寛解」そのものがないんだそうである。
つまり上の例では、銀行員に戻れる人は寛解なのであろう。
内科、ここでは白血病だが、高度な寛解は「銀行員に戻れる」レベルを言っており、まさしくその通りなので、内科の寛解と統合失調症の寛解には少し乖離があると感じた。視点を変えると、統合失調症のは寛解すらないというのは、寛解をほぼ「高度な寛解」という意味で使っていると思われる。それなら、統合失調症には寛解などないことになる。寛解したら、それは誤診である。
最近、他科の疾患で「高度な寛解」という評価を時々聴くようになった。例えば、悪性黒色腫の診断を受け、余命3か月といわれ、実は最近確立されたエビデンスがあるウルトラCの治療法があり、万人に合うわけではないが、その人にはフィットし順調にいって寛解しているなどである。しかしコロナ前だったら死亡していたらしい。
癌などと診断されると、普通の人はショックを受けて正常な判断が難しくなる。そのダメージを受けた心につけこまれ、民間療法などに頼り死期を早める経過を良くみかける。一般に西洋医学の保険診療で実施される癌の治療は「標準治療」といわれるが、これは英語のstandardから来ている。日本語的には中程度と錯覚するが、エビデンス的にはベストな治療法である。
特にお金持ちが、民間療法に頼り大金をかけて結局、死期を早めるのはいくつか理由があるが、1つは抗がん剤治療が、死にたいほどきついことや、髪が抜けるなどの大きな副作用から来ている。また芸能人や事業家などお金持ちは「標準治療」より、お金をかけさえすれば、もっと良い治療があるのでは?と錯覚することもあると思う。「標準治療」は日本語的に錯覚しやすく、その結果、詐欺師を儲けさせたり、社会に大切な人が早く亡くなる原因の1つになっているので、日本語訳を「最適治療」(仮)くらいに変更した方が良いと思う。
そういえば、アップルのスティーブ・ジョブズは癌の治療で民間療法に頼り、死期を早めた。このような人物が56歳で亡くなるのは非常に惜しい。膵臓がんだったので、もう打つ手がなかったかもしれないが、早期の時点で西洋医学の治療を決断していれば、アメリカはお金さえかければ、世界最高の医療が受けられる国なので、56歳で亡くなることはなかった。民間医療の別の問題点は、重要な時期の治療チャンスを失うことも大きい。
癌治療の話で重要な点は、癌は自然治癒がありうることだと思う。統合失調症は自然治癒がまずないのと大きな違いである。僕は自然治癒した人を診たことが未だない。癌の場合、例えば「この祈りの水を飲めば治る」といわれて、ごく稀に実際に治癒する人がいるのである。これが民間療法に流れる原因の1つだと思う。
上の記事では統合失調症の人の癌の罹患率ついて記載しているが、癌は老化の要素も多く、現在社会のように向精神薬が発達し統合失調症の人でも80歳以上まで生きる人が増えてくると、自然と癌で亡くなる比率は増える。しかしながら、癌に罹患してからの経過は少し異なっていて、癌になってからの生存期間が遥かに長い。
ある患者さんは肺癌になり余命を言われて、さすがに本人も暗い表情をしていたが、医師が考えていたほど進行が早くなく、本人も長期間仕事をしないことに耐えられず、呆れてまた仕事に戻った(A型事業所)。それからさらに時間が経ち抗がん剤治療を受けながら仕事もしつつ亡くなった。彼の場合、抗がん剤治療の際の倦怠感や副作用もなくはなかったが、軽いもので一般の人と違っていたと思う。
彼を見る限り、統合失調症の人は癌になったからと言って、一般の人より悩まないので、時に治癒したり、進行が止まったり、長生きすると言う話は、あまり正しくはない印象である。
彼は100%、肺癌の意味を理解していた。そして標準治療を受けていたのである。一応、ついでに書いておくが、日本のように安価な医療費で癌の標準治療を受けられる国は、世界中でもあまり多くはない。
統合失調症の人の癌に対する強度な耐久力は、たぶん内因性の要因が大きいと思われるが、どのようなメカニズムになっているのか研究する価値が十分にある。
癌の自然治癒の謎の1つは、実は統合失調症の中にあると思う。
参考
2008年の古い記事
上はフラワーカンパニーズの「深夜高速」。
深夜高速は多くのミュージシャンにカバーされている名曲である。
しかしフラワーカンパニーズは、大晦日の紅白に出たことがおそらくない。有名どころで紅白に出たことがないミュージシャンとして、スピッツ、B'z、ワンオクくらいが思いつく。B'zは海外在住なのもありそうだが、ワンオクとかはタトゥーなどが良くないのかもしれない。
フラカンの深夜高速は十分に紅白に出場できる楽曲の質を持ち合わせている。曲も良いが、歌詞が特に良い。毎年出てくる古参や若い良く知らないミュージシャンを出すくらいなら、フラカンを出してやれよと思う。
今日の大晦日はホテルに宿泊予定だったが、今ホテルで寛いでいる。年末、インフルエンザが非常に流行っていて自宅で過ごす方がよかったかもしれない。
昨日、火曜日は今年の銀行の最終日だったので、久々に記帳と貸金庫の中を確かめに出かけた。そういえば、数か月前に平日の休日のお昼頃に銀行に行ったところ、なんと昼休み時間で入り口が閉まっていた。ATMは使えるが、平日の夕方と何も変わりがなかったのである。銀行も、遂に働き方改革で普通に昼休みを取るようになったのかと思った。ずっと長い期間、昼間に銀行が休みになることも知らなかったのである。
最近、三菱UFJ銀行で貸金庫の中のものが盗まれるという驚愕するような事件が起こった。しかし、貸金庫には仕様が何種類かあり、この銀行の場合、広い空間に他人の多くの貸金庫も見える仕様になっている。僕が借りている貸金庫は、1人くらいしか入れない小さな部屋に入り、カードとパスワードを入れることで、電動で引き出されて机の上に自分の金庫が出てくるようになっている。そこで鍵で開けて金庫を開く仕様である。これだと三菱UFJ銀行より安全度はマシには見える。
今回の事件で、スペアキーを封筒に入れて割り印するという儀式が挙げられているが、僕はどうもそういうことをした記憶がない。貸金庫はそこまで大きさがなく、例えば普通借りるサイズだと高さがないのでおそらく1億など現金では入らない。昔、たまたま帯の100万円を入れていたことがあるが、数年入れておいた後、意味がないような気がして普通に預金した。
貸金庫は27歳の頃から借りているが、賃貸料は銀行とサイズにより異なる。どのようなものを入れているかと言えば、マンションの権利証、嫁さんの宝石の鑑定書、使っていない宝石、時計のギャラなどである。医師免許証は表彰状のサイズで僕が借りている貸金庫には入らない。折り曲げれば可能だが、そんなことしたくない。
一般的サイズの貸金庫は大金を入れるには小さすぎるため、どうしてもそのようなものになる。
海外旅行に出かける直前、念のため高級時計を入れたことがあった。高さ的に外箱、内箱を入れるのは無理である。本体およびギャラを入れるくらいだが、よく考えると電動で動いてくるわけで、やっている時、帯磁するリスクがあるのでは?と思った。貸金庫は、物を入れるのも面倒だし、再び持ち出すのも面倒である。従って何年も中を見ないなんて人はザラにいると思う。
このようなことを考えるに、三菱UFJ銀行の貸金庫盗難事件は、大きなサイズの貸金庫に大金が入っていたか、金の延べ棒やパテックフィリップなどの高級時計がギャラごと盗まれて現金化されたくらいだと思う。
その際、注意したいのは現金は匿名性が高いが、金の延べ棒や高級時計は盗まれた後、売却したら名前が記帳されて追えるので、匿名性がそこまでないこと。時間が経っても警察の捜査で詳細がわかる可能性がある。
ニュースでは、犯人の女性は、盗んだ金品を投資に使っていて、儲かったら元に戻そうとして盗んだ人や金額をメモしていたという情報も流れている。だったら、金の延べ棒はともかく、パテックフィリップなどの特別な高級時計は買い戻せないため、足がつかない現金が大きな部分を占めていたような気もする。本人がメモしていたからこそ、おそらく具体的に10数億という数字がでてきたのであろう。
上の動画は、ある放送作家の人が貸金庫に1000万円入れていて盗難に遭い、最終的に銀行内で盗んだ人が判明し、銀行が放送作家に1000万に色をつけて返却し、謝罪したという顛末である。これは5年前にあった事件で、警察沙汰にもなっておらず、詳細は闇の中である。しかも、この銀行は三菱UFJではないらしい。
また、梅宮アンナがテレビで言っていたが、父である梅宮辰夫さんが亡くなった時、貸金庫を開けたところ、空だったと言う。この話はもう本人が亡くなっているので証明などできないが、怪しい事件である。
Yahooのサイトでは、80万円ほど貸金庫に入れていてなくなったが、警察にも当の銀行にも相手にしてもらえないという質問が出ていた。貸金庫は中のものがなくなった際に、入れていた証明が出来ないのが難しいところだと思う。
今は、トクリュウの事件が多くなっており、タンス預金もリスクが高い。しかし貸金庫も決して安全ではないのである。
僕は20年くらい前だが、地銀はもし口座のお金がハッキングされた時、グズグズこちらの不注意を言って支払わないリスクあると思い、三菱UFJとみずほ銀行に口座を開いた。昔の都市銀行なら、地銀よりマシと思ったからである。また倒産のリスクも多少は違うと思ったのもある。
しかし地方では都市銀行は数がない上に立地が悪いので便利が悪い。まず、駐車場に苦労するのである。だいたい銀行にいくまで駐車して500mは歩く。したがって記帳もろくにせず、全然使わないのである。都市銀行は地方だとメインにはなりえない。今は主に使っているのはネット銀行であるが、給与振り込みやカードの引き落としなど、メインと言える銀行は地銀のままである。都市銀行は使い辛いが、かと言って地銀に信頼は寄せられないというスタンスである。
このような感覚になった理由だが、友人が自己破産(厳密には任意整理)の時、地銀の銀行員がウシジマ君並みの心理的重圧というか、追い込みというか、暴言を吐いたことを聴いたからである。彼によると、キャッシング業者以上に厳しい暴言を浴びせる地銀が普通にあるらしい。銀行は紳士的に見えても、決してそうではないという微妙な信頼感なのである。
銀行は預金もハッキングリスクがあるし、貸金庫もそれなりにリスクがある。タンス貯金もトクリュウや火災があると大変である。
日本人の職業意識や誠実さは、長い期間の不景気で徐々に低下していて、変な犯罪が増えるばかりだと思う。
この記事で今年は終わりです。読者の皆さん、良いお年を。
仔猫のスリーショットが撮れたのでアップする。この3匹は、ちょっと前まで人を恐れていたが、今はそんなことはなく避妊手術も受けていた。ある程度体重が増えないと避妊手術ができないらしい。
一番後ろにいる仔猫は最も体が小さく、若く見えた。
この3匹はまだ体が小さい。仔猫とまでは言えないかもだが、十分に若いネコたちである。走る時は猛スピードで走る。
この仔猫たちがこの場所に来て、餌付けされて地域猫になり、避妊手術まで受けていたのは、ちょっとネコ模様だと思う。全てではないが、明らかに一部は捨てネコである。この3匹は年齢というか月齢が異なっているように見える。
後ろにいるぶちネコは、まだ腹の手術痕が生々しかった。ぶちネコは左耳がカットされていたので、メスネコである。
参考
例えばこう言う話。
昨年プリンタを買い替え、思っていたより早く完成していたのもあり、今年の年賀状作りの開始が遅れていた。年賀状印刷は避けて通れないイベントである。
僕ぐらいの年齢になると、年賀状の宛先が増えることがほぼなく、宛先のドクターが今年で年賀状は終わりにしたいと言う依頼とか、高齢で亡くなられるなどで自然に減少する。嫁さんは引っ越しなどで年賀状が返送され、出しようがなくなるパターンが多い。あるいは、何年も年賀状が来ないので出さないなどである。
昨年は239枚だったため、今年は240枚購入したが、全て印刷を終えると17枚ほど残った。
今年驚いたこと。
いつも年賀状を出していた先輩医師と、稀に後輩医師が物故会員になっていたこと。しかし、うっかり年賀状を印刷してしまった。よく考えると本人が健在なら喪中はがきを出すが、本人が亡くなった場合、そこまで家族はしないことが多い。
2020年以降、新型コロナパンデミックの頃は、葬式などできない時期が長くあり、同門の医師が亡くなったお知らせファックスくらいしか病院に届かなかった。しかし、県外になるとそれもないので、県外でひっそりと亡くなった同門の医師は、年末に送られてくる名簿を見て初めてわかった。これも普通は見ないのだが、ここ数年で多くの先輩医師が亡くなった感覚があり、今年は一度確認していた。
新型コロナパンデミック中、葬式に出席したのは3回だけである。この3回は県内で葬儀が行われたので出席できたのである。ある葬儀では、その友人家族以外は僕だけだった。医師でこの人数は悲しいものである。
病院の自分の名前宛てに年賀状を出す患者さんには年賀状を出すようにしているが、たまに引っ越しなどがあり、年賀状が戻ってきて出せなくなることもある。そのうち数名は県内の病院に転院し、今はグループホームかアパートで暮らしている。それでも僕に年賀状を出すと言うことは、僕を嫌って転院したわけではないことを表していると思う。こう言う患者さんは、こちらから突然出さないということはできない。
また、患者さんとその家族から別々に2通の年賀状が届く家族が5組くらいある。これも患者さんの状況がわかるので良いものだと思う。
そろそろ年賀状のやり取りを終えたいと思う人たちもいる。例えば、高校の同級生が交通事故で亡くなった際、通夜でその日だけ一緒に話した医師などである。この話は以下の記事を参照してほしい。
今はその同級生の母親も亡くなっていて、その友人たちともその日以来会ったこともないし、もはや年賀状をやりとりする意味も薄い。その話を嫁さんにすると、この数十年間年賀状をやり取りしていたことの方が凄いと言っていた。
今回の年賀状は、12月23日にiPhoneから写真を選んで写真用の年賀はがきにドロップしようとしたところ、どうしてもドロップできなかった。検索して調べてみると、近年アップルは写真の仕様を変更し拡張子がHEICになっていたのである。
これだとWindows11では、jpegに変換しないと年賀状ソフトでドロップ、つまり添付できない。アップルが変更した理由だが、HEICだとjpegに比べサイズが小さくなり、つまりハードディスクの節約になるらしいのである。
この大きな変更は素早く終えようと思っていた僕にとっては思いがけないことだった。結局、Windowsのストアで無料の変換アプリをインストールしたが、操作性が良くなかったり数枚変換すると有料だったりで、最初は良いアプリが見つからなかった。ようやくシンプルに変換できるアプリが見つかり、写真をドロップできるようになったのである。
23日夜に写真を選び、クリスマスイブの午後7時半から集中して通信面(写真を含む)を完成させ、まず嫁さんの全ての年賀状を印刷した。早く終えないとうるさいからである。そもそも、彼女はパソコンアプリを使えるまでのスキルはなく、1人で印刷などできない。今回のようにiPhoneの写真のコンバートが必要な時などなおさらである。
結局、午後7時半から午前2時までで全て宛先、通信面の印刷が終了した。たった2日で終わったのは、プリンタの性能とパソコンの速さの賜物だと思う。印刷しながら、クリスマスイブの食事も並行して食べたのである。
さきほど計算してみると240枚用意し、ミスしたものも考慮すると(亡くなった人の年賀状など)、約20枚ほど余っていた。
年々、年賀状枚数が減るのは印刷時間の短縮にはなるのは良いが、徐々に歳を取っていることを示しているわけで、悲しいものである。
今年の年末はこれから内輪の忘年会があったりで結構忙しい。大晦日から2日まではホテルに泊まって過ごす予定である。その大きな理由は、今年は帰省しないことと、夫婦だけなのに、おせち料理を作るのも嫁さんが大変なので、ホテルに泊まっておせち料理を食べようと言う話になったからである。
昨年も同じようにホテルで年末年始を過ごしたが、カウントダウンイベントのジャズコンサートなども観られたし悪くない体験だった。数年前はこのような時は、温泉旅館に行くことが多かったが、予約が容易でないし、万一大雪で行けない事態もあり得るので近場のホテルにしたのである。
唯一の難点は、年末年始のテレビ番組を大画面で観られないことだと思う。
今年も、例年と同じような年末を過ごしているのであった。
上は、GoogleA1による過呼吸発作時の対処法である。今回は過呼吸発作時、ないしそれが起こりそうな時間の呼吸法について。
ヒトは呼吸の際、呼気の際に副交感神経優位になり、吸気の際に交感神経優位になる。従って緊張時に息を強く吸おうとすると、より交感神経優位になり事態が悪化する。過呼吸発作が起こりそうな時は、むしろ息をゆっくり時間をかけて吐く方が治療的なのである。
ネット上では、過呼吸発作時の呼吸法について、時間をかけて息を吐くという記載が多い。
呼気にかける秒数は色々だが、僕は2秒かけて息を吸い、5秒かけて息を吐くという方法が簡単だと思う。この際、呼気を意識する。この書き方はやや曖昧だが、呼気の時、時間をかけ、ゆっくり息を吐くように努めるといった感覚である。
ヨガなどでは、息を吸う倍の秒数で息を吐く呼吸法が推奨されているらしい。この方法だと、2秒で吸い、4秒で吐くなどである。これは最初に挙げた2秒、5秒と大差ない。
自分でしてみるとわかるが、実際はどうかわからないが、腹式呼吸のような呼吸法に近くなる。
ヒトは副交感神経優位になると、いろいろな病気が良くなる傾向がある。温泉なども泉質もあるが、温泉は副交感神経優位にするのでそれだけで治療的である。ただし、温泉にも禁忌疾患はある。
パニック時に過呼吸発作まで発展する人は、酸素が足りなくなった感覚に陥り、吸気に意識が強く行く。その結果、吸気に時間を多くとるため、一層悪化する。最も悪い方法を自然な流れで選択してしまうのであった。
昔、過呼吸発作時にビニール袋を使う方法が言われていたが、そもそもこの方法そのものが本人にストレスフルである。また呼気に意識を強く持つことも難しい。海外でこの方法による死者も出たことから、今は対処法として挙げられることはなくなっている。
過呼吸発作になりそうな時は、ゆっくり意識を持ちつつ息を吐くことで副交感神経優位にし、良くなる可能性が高い。
参考