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精神科医の日記

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アモキサン、遂に販売終了

 

 

2025年2月にファイザーからアモキサン販売終了がアナウンスされた。アモキサン販売休止については過去に2つ記事をアップしている。

 

最初の記事は、アモキサンにニトロソアミン化合物が混入していたことにより、アモキサンの販売が休止される話。以下はその記事である。

 

 

上記記事から抜粋。

 

ファイザーは2022年8月、アモキサンカプセル及び細粒に発癌リスクのあるニトロソアミン化合物が検出されたことを受け、他の抗うつ剤への切り替えを要請している。この対象となる薬物は、アモキサンカプセル(10㎎、25㎎、50㎎)及び同細粒の10%である。

 

https://www.pmda.go.jp/files/000248054.pdf

 

ファイザーによれば、このニトロソアミン検出の原因はアモキサンと添加物による反応と言う。しかしながら、急激な中止は精神症状不安定や離脱症状を来すため、しばらく出荷を継続するらしい。しかし2023年2月から自主回収が開始され、それまでにアモキサンを他の抗うつ剤に変更しなくてはならない。猶予期間は約6カ月である。ニトロソアミンについてはアモキサンに限らず薬物に混入していることがあるため、数年前からいくつかの処方薬が自主回収になっている。

 

この記事の中で以下のように今後、販売が中止になるのでは?と記載している。

 

最も懸念される問題は、フィイザーがアモキサンをいったん自主回収した後、果たして再発売するのか?であろう。

 

今回のように化合物と添加物との反応で有害物質が生じた場合、他の異なる製造ラインで生産し再発売することは、現在、アモキサンがあまり処方されていないことや薬価が安いことなどから利益的に見合わない。

 

 

これはアモキサンから他の抗うつ剤に変更した時の顛末記である。

 

予想していたとしても、このアナウンスは悲しすぎる。今、僕の患者さんにアモキサンの再発売を待っていた人はいないが、難治性うつ病の患者さんを治療している時、

 

こういう時に「アモキサンがあれば展開も変わっていただろうに」と思うことはある。

 

なぜなら難治性のうつ病を治療する際、選択肢としてアモキサンの順番は早いからである。アモキサンはパワー型の抗うつ剤ということも大きい。

 

つまり、最近のうつ病の患者さんの治療選択肢を狭くしているのである。

 

最初のアナウンスのパンフには面白いことに、代替薬として、アナフラニールとトフラニールを挙げている。「古い3環系抗うつ剤でも出しておけ!」という意味だと思う。

 

アモキサンとアナフラニール、トフラニールは似ていないし、効き方もかなり違う。ひとつ言えるのは、アモキサンの方が内服薬として、この2剤よりはるかに服用しやすいこと。専門性のカケラもない無責任な推奨だと思った。

 

ファイザーは新型コロナワクチンで莫大な利益が出ているはずで、アモキサンくらい赤字でも慈善事業として再発売してもバチは当たらないのに、と内心思っている。

 

やはり外資系は商業的過ぎるところがある。なぜなら、赤字でも製造するという企業行動が、資本主義に反していて、まずくするとCEOが更迭されかねないからである。

 

 

避妊手術を受けたばかりのネコ

 

この辺りのノラネコは、ネコおばさん達に避妊手術を受けさせられる。大抵、半年を過ぎたくらいで犬猫病院に連れていかれる。最近、春分の日が近づき朝夕が明るくなって来て、ネコたちも明るく撮れるようになった。

 

 

このネコは左耳がカットされているのでメス猫である。不思議なのは仔猫たちの親猫がいつも見当たらないこと。少なくとも親猫と一緒にいるのを見ることがない。ネコおばさんによると、親の雄ネコはミャーらしいが、出産したメスネコはよくわからないらしい。

 

 

ミャーはぶちなのだが、仔猫は3匹いて、ぶちは1匹だけ。あまりにも野良猫が多過ぎて、仔猫の模様だけで親猫が特定できない。

 

 

このネコ、もう少し小さい時は、なんとなく人を避ける風もあったが、今はしっかり地域猫している。よく見ると、このネコは上のネコの姉妹だった。お口の周りの模様が違う。ちょっと豹柄っぽいし。

 

 

サクラ耳カットだが、深爪というか、あまりにも深くカットされているネコもいる。このネコのカットはそこそこである。

 

親猫のミャーだが、3匹も子供を作り、間髪を入れずネコおばさんに避妊手術に連れていかれた。そもそも、この辺りはサクラ耳カットされていないネコの方が稀で、ネコおばさん達は良い仕事していると思う。

 

ミャーは避妊手術を受けたあと、性格が穏やかになったそうである。

 

しかし、避妊手術が遅過ぎたのは間違いなく、この辺りのネコにはミャーの子孫が相当にいるはずである。

 

転院と出戻りの患者さん

僕はわりあい患者さんの要請に応じるタイプの精神科医で、例えば、「○○という薬を処方してほしい」と希望した際に、強く拒絶することは滅多にない。ただ、その薬を服薬した際の見通しは助言することが多い。

 

例えば「貴方は忍容性が低いのでその薬を服用し続けることは難しいでしょう」といった感じである。なお、患者さんは「忍容性」なる用語は知らないので、わかりやすく「貴方は副作用に弱いので変更しても継続するのは厳しい」くらいに言う。それでも服用したいというものを強く禁ずることは稀でとりあえず処方することが多い。

 

それどころか、患者さん本人が全ての処方薬を決めてほしいくらいである。

 

これも統合失調症や双極性障害などの内因性疾患の場合は話は別である。長期的に安定している処方を変更し、増悪することそのものが予後を悪化させるため、処方は変えない方が良いと助言する。

 

異なるタイプの非定型抗精神病薬や定型抗精神病薬への変更であれば、その方が良いケースもあり得るので変更するケースが増える。一度、体験してもらった方が、今後良いことも多いからである。

 

ただし、慢性期の統合失調症の患者さんは自分の処方に関して無関心なことが多く、薬について言及することは少ない。

 

真に病識がない統合失調症の入院患者さんは、人にもよるが「自分は統合失調症ではないので薬を止めてほしい」などと言う。なぜ、本人の薬が統合失調症に対する薬がわかるかと言うと、スマホで調べるからである。結局、本人が統合失調症でないと思っている以上、本人から他の抗精神病薬への変更を希望することはない。

 

薬の変更を希望する人々は統合失調症の人は相対的に少なく、神経症やASDやADHDの人たちが多くなる。ここで変更を容認することが多いと書いたが、コンサータなどの特別な向精神薬はまた別である。

 

なぜ今日の記事でこのようなことを記載したかと言うと、患者さんによれば、精神科医には処方変更に全く応じない医師もいるという話だからである。そのようなことを聴くと、僕はかなり柔軟な対応をしている方だと感じた。

 

転院に関してもそうである。患者さんから、「友人が○○クリニックに行って良くなったから転院したい」という希望をされる。このような際、どこに行っても変わらないような人は意外に少なく、転院しても悪い結果しか起こりそうにない人が、そのように希望することが多い。これは悲しいことである。

 

しかし、これもほぼ応じる。ただし意見は言う。例えば、「貴方は入院歴が多いので、クリニックでは悪化した際、どこに入院するかなど面倒なことになるので、転院するなら単科精神科病院が良いでしょう」などである。本人は噂だけでそのクリニックに惚れ込んでいる様子なので、その助言は受け入れられない。

 

あと「これは良くないと思ったら戻って来て良い」とも伝える。僕は本人の希望で転院する時、出戻りは問題ないのである。これだと患者さんも転院しやすい。

 

このような経過で、何度も出戻りした患者さんがいる。僕の診たてでは、最高に良い経過にいると思うが、何か本人に不満な点が残っていて、友人の誘いで転院してみようかと思うのであろう。

 

僕は既に25年くらい院長をしているので、転院したクリニックの医師が僕より臨床経験が多いということはまずない。また経験だけでなく、技量的な面でも上回ることはほぼないと思われる。

 

従って、時間が経ち、即座に入院すべき病態で戻ってくる。

 

この時の紹介状の文面に、「力不足ですみません」などとクリニック医師が記載しているので、おそらくこちらの技量がわかっているのでは?と思ったりする。なぜ、その医師がそう思うかと言えば、僕の紹介状の内容から推し量れるのだと思う。過去ログに神田橋先生からほめられた話が出てくる。

 

 
クリニックの紹介状の経過をみると、悪くなりそうな場面で、適切な対処ができていないと感じる。この薬だけは中止すべきではないとか、この薬からこの薬に変更してもうまくいくわけがないといった変更があるからである。
 
そのような経過をとった患者さんが、時間が経ち、再び他のクリニックに転院を希望することは不思議なことだ。そして、再入院で戻ってくる(この繰り返し)。その患者さんは非定型精神病で、頑固で言い出したら他の人の助言を聴かないタイプの性格なのである。
 
入院中の転院も家族や本人の希望があれば受け入れる。一般に入院中で、しばしば隔離されるレベルの患者さんは転院そのものが困難だし、受ける方も嫌がることが多い。しかし、うちの病院では選択できない治療法が可能なら、転院して治療するだけの価値がある。例えば、クロザリルによる治療である。詳細な病歴を記載し、「なんとかご配慮お願いします」くらいに書くと受けてくれることが多い。
 
僕は、その患者さんが良くなるのであれば、どこで治療しても問題ないというスタンスなのである。
 
 

 

飢えの疼痛と古典的摂食障害

江戸時代には何度も飢饉に見舞われているが、江戸中期に起こった天明の大飢饉は、江戸四大飢饉の中でも最大のものと言われている。天明の大飢饉は1782年から1788年までの6年間も続き、その前後の年も農作物の不作などもあり、大変な事態だったと想像できる。

 

天明の大飢饉は、東北地方を中心に起こったものであり、岩木山や浅間山の火山噴火などによる日照時間の減少や「やませ」と呼ばれる偏東風により、気温が上がらなかったなど、天候不順の原因は気候だけでも多くの要因があった。

 

当時、全世界的にも1783年にアイスランドのラキ火山やグリムスヴォトン火山 の大噴火が起こり、大量の火山ガスが成層圏まで舞い上がり、地球の北半分を覆い日照時間を減少させて北半球に気温低下、冷害を引き起こした。これら火山噴火に伴う農作物収穫の減少は、1789年から始まったフランス革命にも間接的に影響したと言われている。

 

日本の天明の大飢饉は、東北の各藩の政治的対応の悪さもあり、不作になりそうだと見通され、コメ相場が急騰した際に、借金の返済のために高値で大阪商人に米を返済したことも大きく影響したと言われている。同年、飢饉が深刻化した際に政治的に良い政策がとれなかった。

 

そのような天候以外の要因により、飢饉の深刻さには東北地方の藩により差があり、例えば白河藩の藩主の松平定信は政治的に素早く対処したため、白河藩内の餓死者は出なかったと言われている。

 

現代ではコシヒカリなどの寒い地方でも収穫できる品種があるが、当時は現在のように品種に多様性がなく、冷害が起こった時に強い品種がなかった。また農作物が米に偏りすぎていたこともあったようである。

 

当時の飢饉では餓死する人が大変な数に及んだと思われるが、餓死者の実数がわかる正確な資料があまり残っていない。これは東北の各藩が失政を咎められ、改易などの幕府の処分を恐れたためである。

 

飢饉で亡くなる時の状態だが、僕はあまり知らなかったが、餓死で死ぬ際は大変な疼痛を伴うという話である。第二次世界大戦で、太平洋の孤島でも日本兵に餓死者が多く出たが、彼らにも同じような疼痛があったはずである。この疼痛は胃のあたりに生じるという。また、餓死は即死はせず徐々に時間をかけて死亡するのも大変なことだと思う。

 

この話を知った時、今は稀になったが拒食のため体重が20㎏台に至り、まさに餓死するレベルまでるい痩が進んだ当時の古典的摂食障害(拒食タイプ)には、ほとんど苦痛がなかったことを思い出した。

 

当時の患者さんで骨と皮になってしまう人は女性患者さんがほとんどで、男性は稀といって良かったし、拒食があってもそこまで深刻にはならなかった。

 

彼女たちは、拒食、著しい体重減少のため、むしろエンドルフィンやエンケファリンなどの脳内麻薬用物質が大量に出ていたのであろう。そう考えると概ね説明がつく。

 

当時の20㎏台の拒食症患者さんには、むしろ多幸感まであったのかもしれない。

 

それは二次的にそうなったのか、脳内が変調してそうなっていたのかは不明だが、その段階まで進行すれば、脳に疾患の座があり、心理など問題にならないレベルに達していたことが想像できる。

パーキンソン病にうつが必発でない謎

リエゾンでは、時々うつ状態のパーキンソン病の患者さんを紹介される。パーキンソン症候群はさまざまな神経疾患に伴う症状だが、パーキンソン病でうつ状態が必ずしも生じないことは、ずっと不思議に思っていた。

 

パーキンソン病で、うつ状態が改善せず精神科医に紹介せざるを得ない人がいる一方、うつ状態がない患者さんも少なからずいるのである。実際、マドパーなどを服用しながらうつ状態もなく、仕事をしている人もかなりいるはずである。

 

パーキンソン病はドパミン神経系に座があるのは間違いが、うつ病の病態にそこまで近縁に位置しないことは重要だと思う。

 

なお余談だが、僕のリエゾン先の総合病院で、新型コロナ以前は神経内科からのコンサルトが最も多かった。

 

僕が研修医の頃、教授から神経内科医からリスペクトされる精神科医になれ!と言われていたが、当時はあまり意味が分からなかった。今から見ると、延べの紹介数を見ても、かなり期待に応えられていると思う。

 

なぜなら病棟に行くと、神経内科医の医師(複数)が、僕がどのような処方をしたのか電子カルテを見に来られます、と病棟薬剤師が言っていたからである。それくらい病状が激変し、僕の処方を参考にするために見に来ているのである。(薬剤師の話し方はそんな風)

 

経験的にパーキンソン病にうつが生じている人が、パーキンソン病そのものに由来するのか、あるいは今風に、うつ病が併存しているのかはかなり重要である。

 

現在の精神科の診断学は、一元的に1つの精神疾患にまとめず、いくつかの精神疾患が併存していると言う考え方が主流である。

 

それは良いこともあるし、実態に即していないことはあるよね、といった僕のスタンスであるが、僕の場合、古典的な考え方もする方なので、一元的に考える思考パターンになりやすい。

 

僕はパーキンソン病に関しては、2つの事実?が大きく関係していると思う。

 

1、パーキンソン病の治療薬は、ほとんどうつ病の適応を持たない。ただし、補助的にエビデンスレベルが低いが併用で改善することがあるという評価の薬がある。例えば、ビシフロール(プラミペキソール)。つまり、パーキンソン病の治療薬はドパミン神経を活性化させるが、うつ病にはほぼ効かないと言って良い。

 

2、パーキンソン病のうつ状態は、経験的にはSSRI、SNRIよりルジオミールの方が遥かに奏功する。

 

つまり、パーキンソン病のうつ状態は、ノルアドレナリンを積極的に上げるだけで改善する傾向があるのである。つまりSSRIのようにセロトニンを上げる薬はおそらく成功率が低い。そう思う理由は紹介される前に、シタロプラムやセルトラリンくらいは処方されたことがある人が多いからである。

 

ただし、神経内科医はルジオミールなどのマイナーな抗うつ剤は処方しないので、例えばSSRI、SNRI、ミルタザピンで簡単に改善した人は紹介されないというバイアスはあると思う。

 

なお、モーズレイのマニュアル的にはパーキンソン病のうつにはSSRIが推奨されている。これはそれ以外の抗うつ剤の副作用も勘案されている。

 

SSRIは副作用は古典的抗うつ剤に比べ少ないものの、パーキンソン症状を悪化させるメカニズムを持つ。しかし、一般のうつ状態の人にSSRIを処方して、パーキンソン症候群の副作用で困るようなことはまずないので、そのメカニズムは微々たるものなのであろう。

 

SSRIでどのくらいうつ状態を改善する期待値があるのか、正直、僕にはわからない。なぜなら、そういう治療、つまりSSRI、SNRI、ミルタザピンなどの抗うつ剤でどうにも改善しなかった人ばかり紹介されるからである。

 

ルジオミールで改善する期待値が高いように見えることは、ルジオミールはノルアドレナリンしか作用が及ばないことから、非常に興味深い。

 

これは、パーキンソン病という病態のバリエーションとして、ノルアドレナリンがあまり上がらず、うつ状態を呈する人がいると言った見方もできる。

 

これは、パーキンソン病に並行してうつ病が発生したとも見ることもできる。個人的には必ずしも歓迎しないが、伝達物質が足りないという共通点があるので、まだ考慮できる。

 

うつ病に対しドパミンを上げる治療が奏功しやすいことと、常にドパミンを上げる治療をしているパーキンソン病に、なおうつ状態が生じることは、うつ病という疾患の謎を表しているように見えて、とても興味深いと思うのであった。

 

 

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