(この曲の誕生秘話があまりにも胸を打つエピソードだったので、エッセイのあとがき的に)
Little Green/Joni Mitchell
実はパパは今までこの曲の歌詞を一度も読んだことがなかったんだよね。この曲に限らずパパは基本的に曲をサウンドとしてしか聴かない。日本語でもそう。もちろん歌詞とサウンドが奇跡的な共鳴を奏でることがあるのは知っているが、それでもパパは曲をただ曲として聴くのが好きだ。
あの時パパが店でかけたのはジョニ・ミッチェルの「Blue」という名盤中の名盤アルバムだった。今回その中の1曲、この「Little Green」を選んだ時に初めて歌詞を読んだんだよね。そして歌詞の背景に下記のストーリーが隠されていたことを知った。
https://ghosttranslator.com/joni-mitchell-little-green/
若きジョニ・ミッチェルは芸術家志望の男と駆け落ちし21歳で身ごもったが、妊娠3か月で彼が去っていってしまう。未婚のまま女の子を出産したが、あまりにもひどい極貧生活の中で「不幸の中で幸せな子供は育たない」と悟り、産後6か月で子供を養子に出してしまう。
しかしいざ書類にサインする際、彼女はひどく取り乱したという。その後彼女の中に初めてソングライティングのインスピレーションが沸き出したそうだ。その翌年にこの名曲が誕生している。Little Greenとはまさに自分の娘の事だったのだ。彼女はかつてこう語っているそうだ。
「一番話したい相手と話すことができなくなってしまったので、私は全世界に対してチューニングを合わせるしかなかった」
ジョニ・ミッチェルは著名になってからも何度も娘の捜索を試みたが叶わなかった。アルバムがミリオンセラーになってもグラミー賞を取っても、何を見ていても、どうしても涙が出てしまい、人と一緒にいることができなかった。女の子を連れたファンに話しかけられると「あれはもしかしたら私の娘かもしれない」とつぶやくこともあったという。
一方娘であるキロレン・ギブは愛情深い教師の夫婦に育てられ、モデルとして有名になり雑誌の表紙を飾るなどしていたが、27才で子供を身ごもった時両親から養子であることを告げられて激しく動揺する。ギブはそれから自分の生物学的両親を探し始め、5年がかりで古い時代の記録に辿りつくも、そこには母の非常に断片的な情報しか載っていなかった。
諦めかけていた時に、友人の友人である女性がたまたまその話を聞き「あなたの母親はもしかしてジョニ・ミッチェルではないか?」と驚くように言った。それがきっかけとなり、ジョニ・ミッチェルと娘キロレン・ギブ(出産時の名前ケリー・デイル)は生後6か月の別れから32年後に奇跡の再会を果たす。
「他に比べるもののない、ものすごい感情だった」ジョニ・ミッチェルはそう語っている。しかし彼女は娘と再会することと引き換えにソングライティングの興味を失ったとWikiには記されている。つまり彼女はそれまでずっとずっとずっと、、、会えない娘に音楽で語り掛けていたのだ。パパはそれを知って1人で泣いてしまった。
歌詞を知らずに聴いていた、曲調と歌声から想起される無垢と呼べるほど純粋な哀しみと切なさは、まさに隠されたストーリーにぴたりと重なるものだった。彼女が失った娘に、語り掛けても、語り掛けても、言葉が届かない、その切なさが、あの時の店の中にも満ち溢れていたのだと気が付いた。
ああ、これが音楽なんだな、そう思ったのである。
Just a little green
Like the color when the spring is born
There'll be crocuses to bring to school tomorrow
Just a little green
Like the nights when the Northern lights perform
There'll be icicles and birthday clothes
And sometimes there'll be sorrow
ほんの小さき緑
まるで春が生まれる時のような色
明日学校に持っていくクロッカスの花
北の空にオーロラが踊る夜
冬のつらら、誕生日会のお洋服
そして時には悲しみもそこにあることでしょう
You're sad and you're sorry but you're not ashamed
Little green, have a happy ending
悲しくて、申し訳なくて、それでも恥ずかしいとは思わなかった
小さき緑、ハッピーエンディングをお迎えなさい
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ただその後は決してハッピーエンドと呼べるものではなかったようだ。再開した母と娘には様々な葛藤があり、激しく対立した後10年近く会わずにいることもあったという。母と娘の関係は例え最初から同じ屋根の下で暮らしていても一筋縄ではいかないものだよね。
また上記の記事を読むと、ミッチェルが世界的スターであったことも再開後の母娘の関係に様々な影響を与えてしまったようにも思う。ただそうしたことを含めて人間なのだなと感じてしまう。自分の人生に何かが欠けていて、それが互いの存在であることも分かっていてもなお、ぶつかり合い、傷つけあってしまう。それでも日々は続いていくのだ。
お二人が共に幸せでありますように。