仕事場の窓から見える白木蓮(ハクモクレン)が今年はきれいに開花した。ここ数日の暖かさによるものだと思う。

 普通こういう文章の場合「今年『も』」だと思うのだが、あえて「今年『は』」と書いた。

 理由がある。

 

 2024年12月5日の記事『四季返還』にも書いたのだが……。

 昨年の春、この白木蓮は何と開花しなかったのである。覚えておいでの方もいるかと思うのだが、昨年の今頃は気温がジェットコースターのように日々あがったり下がったりし、中でも数日びっくりするような高温の日々があり、そのせいで開花するより先に緑の若葉が急速に出始めてしまい、花はわずか一割程度割いたもののそれ以上は開かず、あれよあれよという間に葉が先に伸び、結局満開にならないまま新緑と化してしまった。2018年に今のマンションに越してきて以来毎年白くきれいに咲いていたものが昨年はまるで咲かなかったも同然の状態だったので、どうにも不気味に感じてこの一年を過ごしてきた。

 

 よって……。

 年が明けて今年2025年に入ってから、「今年はあの白木蓮はどうなるのだろう」とずっと気になっていた。もし今年もまた開花せずに若葉がどんどん出てしまったらどうしようと気を揉み、そうなればいよいよ気候変動が進んだ証左なのではないかと、仕事場から毎日つぼみの膨らみ具合を眺めたり、それでも足りずに毎朝のウォーキングの時にたまたまこの木の下を通るので、近くから見上げてよーく観察したりして、ハラハラしていたのだ。

 それがおとといあたりから少しずつ開き始め、きのうは半分ほど開花し、今日の暖かさでめでたく満開になった。白木蓮は桜に比べて開花時期が極めて短く、これからほんの数日で花が落ちてしまうから、「満開を見逃すまい」という気持ちも強かった。

 まずは一安心である。

 

 報道を見ていると、この[気候変動を何とかしなければならない」という問題に関して、世界の情勢は以前に比べて後退とまでは言わないが停滞している気がしてならない。

 私は二つの戦争のせいだと思っている。

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻と、パレスチナを巡るハマスとイスラエルの不毛極まりない攻防戦、この二つの大問題が、早急に解決しなければならない国際問題であるが故に、本来最重要課題であるはずの気候変動問題が陰に隠れてしまっている。無論関係者の不断の努力は続いているのだろうが、気候変動は世界各国が確実に歩調を合わせて取り組まなければならないのに、二つの戦争の終結が最重要課題にとって代わってしまい、これまで以上に歩調に乱れが生じている。

 だが、二つの戦争の完全な停戦が急務であるのは間違いないものの、気候変動の問題とて急務である事は間違いなく、言えば「(気候変動も含めた)この三つの問題が急務」なのである。なにしろ、二つの戦争がようやく停戦したとしよう、しかしその時、気候変動を解決する試みが停滞していたせいで地球環境がのっぴきならない、もう後戻りできないひどい状態に陥っているという危険性だってあるのだ。そうなれば(以下はさすがに極論すぎてSFの域に入ってしまうが)、「二つの戦争が終わってみたら、いつの間にか地球が人間にとって住めない星になっていた」なんていう馬鹿げた状態にもなりかねない。

 そうなってからでは遅いのである。

 

 自分の心の中を覗いて見るに、こうやって気候変動の記事を切羽詰まって書いているのは、昨年の春に白木蓮が開花しなかった事がよほどショックだったのだろう。まさかそんな事態が起こるとは夢にも思わなかったし、何だか異様な気分を抱えたままこの一年を過ごしてきた。過剰反応だと笑う人もいるだろうが、私にとってはかなり「薄気味悪い現象」に見えた事は確かなのだ。

 

 その白木蓮が今年は咲いた。

 美しい白い花が私に言っているような気がする。

「まだ間に合います。でも、このまま世界の対策が停滞してたら、来年は私はどうなるかわからない……急いでください……」

 個人ではどうにもできない事だし、しかし世界がそう簡単に、気候変動対策を加速度的に進められるとは思えないし、私としては返す言葉がない。

 我が家の前の白木蓮に対して、である。

 

 一日も早く世界的な対策が進んでほしい。

 気候変動を題材にしたディストピア映画のように、世界が荒廃して人類が住めなくなってしまった世界など、現実にはあってはならないから。

 

 本当に、何とかならないものだろうか……。