実験放送で放送された。20分枠。「あれは吾々がヤマと呼んでいた愛宕山の放送局から内幸町の放送会館に移った次の年頃だと思うから、昭和十五年の夏か、或は秋も早い頃ではないかと思う。当時砧村にあるNHKの技術研究所から会館、三越其他に有線放送を、年幾回と決めて放送した。その頃入って間もない僕は、命ぜられるままテレビなるものに初見参したのだが、受持ったプロは「ほがらか日記」という、ラジオで好評だったコメディのテレビ化と、古今亭志ん生師匠の落語の三本だった。当時、未だ小学校にも上がっていないメイコちゃんは立役であり、狭い舞台の上をコチョコチョと歩き廻るので、余りライトの熱度を感じないらしい。【この項、文・永山弘。松谷みよ子編「現代民話考[8]」(ちくま文庫刊)より引用】」