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日本のAI技術戦略(プレナス投資顧問など)

プレナス投資顧問のレポートなどによると、日本のAI(人工知能)技術戦略は、官僚がその分野の権威筋の知恵を借りて作り上げるという形を取っている。しかしこの方式は、AIテラバイトデータ革命においては、あまりうまくいかない。なぜかというと、権威筋の学識は、AIテラバイトデータ革命のスピードに追いつけないし、また官僚の立案は、確実性と判断の誤りのないことが前提だが、AI革命では、この前提自体が成り立たないからだ。

人材

AI開発の人材は、育成されるものではなく、育つ環境を与えて、余計な干渉をしないところに育つようだ。AI革新に学会の権威は役立たない。たとえば、リナックスを作り上げたリーナスとOSの権威であるタネンバウム教授との論戦を思い起こしてほしい。20歳の無名の若者が学会の権威に真っ向からたてつき、教授に、「君が私のクラスにいれば進級できないだろう」といわせたのである。


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■第5世代コンピューターとは

第5世代コンピューターとは、1980年代初頭に日本で唱えられた概念で、AI(人工知能)を持つコンピュータを意味するようだ。日本は、これを開発することにより、IBMを抜いて、世界のコンピュータ市場を制覇することを狙った。そのため、通産省機械情報局の直轄プロジェクトが立ち上がり、82年から10年間で1000億円を投じることになっていた(実際の支出額はその半分程度)。

ソフトが主役

しかし第5世代という概念自体があいまいだった。解説書によると、第1世代は真空管、第2世代はトランジスタ、第3世代はLSI、第4世代は超LSIで、第5世代は人工知能を持つコンピュータで90年代初頭に実現するはずだった。第4世代までは、ハードの進歩だが、第5世代になるとソフトが主役になる。

酷評「日本のIT革命の遅れを招いた」

第5世代コンピューターのプロジェクトは評判が悪い。多額の資金を無駄にしただけでなく、日本が、IT革命の方向を見誤る結果を招いた。ある識者の言葉を借りれば、「日本が第5世代コンピュータに入れ揚げている間に、アメリカのコンピュータメーカーは既存のCPUのスーパースカラー化とそれを多数搭載した並列コンピュータを商品化し、日本メーカーはそれを模倣せざるをえなかった」。つまりIT革命に乗り遅れる結果を招いた。アナログ・ハイビジョンも第5世代コンピュータも多大な公的資金と時間を投入したにもかかわらず、IT革命の流れをつかむことができず、かえって日本のIT革命の遅れを招いた、などと酷評されている。


私たちは非営利の私的サークルです。コンピューターの技術、テラバイトデータの歴史、構造化知識研究などについて勉強しています。

NEC「キュウハチ」黄金時代

NECは、通称「キュウハチ」と呼ばれるPC-98シリーズを1982年に発表、1990年代初頭まで、日本のパソコン業界に君臨した。この98シリーズは、基本ソフトに米マイクロソフト社のMS-DOSを使用した「DOSマシン」が、初代のPC-9801以来、日本語機能を付加した独自のマシンとして評価を高め、使用ソフトウエアや周辺機器の豊富さと相まって、ベストセラー機にのし上がった。

日本市場の事実上の標準機

パソコン市場では、ソフトウエア開発会社は、売れているパソコンに使えるソフトを優先的に開発する。使用ソフトの蓄積が増えると、また、そのパソコンが売れる。これは、周辺機器の場合も例外ではない。PC-98シリーズは、このような相乗効果によって、日本市場の事実上の標準機としての地位を固めた。

日本IBMのDOS/V

このようなNECの牙城の対抗勢力として台頭したのが、DOS/Vである。DOS/Vは日本IBMが1990年に発表したOSで、基本的には前記MS-DOSと同じだが、漢字ROMのような特別のハードウエアを付加せずに日本語処理が可能になった。IBMがその仕様を公開、世界市場の標準機であるPC/ATと呼ばれるIBM互換機への搭載が可能になったため、いきおい日本市場での「台風の目」になった。互換機の特徴として、海外で開発された膨大なソフトウエアが利用できる利点に加え、高性能のパソコンが低価格で供給される魅力も大きかった。

国産メーカーが次々と参加

日本市場でこのDOS/V陣営を形成したのは、当の日本IBMに加えて東芝、日立製作所、三菱電機、ソニー、リコーなど、圧倒的多数を誇る国産メーカーだった。1992年12月には、FM-R、FMタウンズなどの機種で独自設計路線を歩んでいた富士通が参画。同陣営によるNEC包囲網はいっそう強固なものになった。

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日本の初期のマイコン活用「インベーダー」ゲーム

日本の半導体業界にとって、初期のマイコンを活用した事例として有名なのが、ゲーム機「スペース・インベーダーズ」だ。1978年に発表され、1979年から一大ブームを巻き起こした。高度なマイコンを組み込むことによって、人間とコンピューターが戦うソフトが簡単にできるようになった。その成果物が、インベーダーである。

タイトーが「ブロックくずし」に対抗

当時一番人気があったのは「ブロックくずしゲーム」だった。タイトーの営業部門は、ブロックくずしに対抗できるゲームを自社の研究所に要請する。

真似ゲーム裁判で勝利

インベーダーブームは、思わぬ副産物も生み出した。インベーダーブームを真似したコピーゲームを発売した会社に対し、タイトー側が起こした損害賠償請求に対する東京地裁の判決がそれだ。「コンピューターのソフトウエアも著作物に当たる」という初めての判断が下された。

ゲーム店の営業時間規制

もう一つの副産物は小学生など低年齢層もゲーム店に入りびたりになるようになり、「非行の温床になっている」と問題化、ゲーム店の営業時間規制へと発展した。

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オンライン不正アクセスの追跡技術

DNAコンピューターとNEC

GEのRCA買収発表

プレナス投資顧問

日本オラクル 社長 歴代

日本ヒューレット・パッカード(日本HP)歴代社長

エクシブ投資顧問

ジェクシード

構造化知識研究


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